うじて波止場《はとば》に到り、それより船に移し入れらる。巡査の護衛せるを見て、乗客は胆《きも》をつぶしたらんが如く、眼《まなこ》を円《つぶ》らにして、殊《こと》に女の身の妾《しょう》を視《み》る。良心に恥ずる所なしとはいいながら、何とやら、面伏《おもぶ》せにて同志とすら言葉を交《かわ》すべき勇気も失《う》せ、穴へも入りたかりし一昼夜を過ぎて、漸《ようや》く神戸に着く。例の如く諸所の旅舎より番頭小僧ども乗り込み来りて、「ヘイ蓬莱屋《ほうらいや》で御座《ござ》い、ヘイ西村で御座い」と呼びつつ、手に手に屋号の提燈《ちょうちん》をひらめかし、われらに向かいて頻《しき》りに宿泊を勧めたるが、ふと巡査の護衛するを見、また腰縄のつけるに一驚《いっきょう》を喫《きっ》して、あきれ顔に口を噤《つぐ》めるも可笑《おか》しく、かつは世の人の心の様《さま》も見え透《す》きて、言うばかりなく浅まし。
その夜は大阪府警察署の拘留場《こうりゅうば》に入りたるに、船中の疲労やら、心痛やらにて心地悪《ここちあ》しく、最《い》とど苦悶を感じおりしに、妾を護衛せる巡査は両人にて、一人は五十未満、他は二十五、六歳ばかりなるが、いと気の毒がり、女なればとて特《こと》に拘留所を設け、其処《そこ》に入れて懇《ねんご》ろに介抱《かいほう》しくれたり。当所に来りてよりは、長崎なる拘留所の、いと凄《すさ》まじかりしに引き換え、総《すべ》てわが家の座敷牢などに入れられしほどの待遇にて、この両人の内、代る代る護衛しながら常に妾と雑話をなし、また食事の折々は暖かき料理をこしらえては妾に侑《すす》める抔《など》、万《よろず》に親切なりけるが、約二週間を経て中の島監獄へ送られし後《のち》も国事犯者を以て遇せられ、その待遇長崎の厳酷《げんこく》なりし比に非ず。長崎警察署の不仁《ふじん》なる、人を視《み》る事|宛然《さながら》犬猫なりしかば、一時は非常に憤慨せしも昔《むかし》徳川幕府が維新の鴻業《こうぎょう》に与《あずか》りて力ある志士を虐待《ぎゃくたい》せし例を思い浮べ、深く思い諦《あきら》めたりしが、今大阪にては、有繋《さすが》に通常罪人を以て遇せず言葉も丁寧《ていねい》に監守長の如きも時々見廻りて、特《こと》に談話をなすを喜び、中には用もなきに話しかけては、ひたすら妾の意を迎えんとせし看守もありけり。
四 眉目《みめ》よき一婦人
ここにおかしきは妾と室を共にせる眉目|麗《うるわ》しき一婦人《いっぷじん》あり、天性|賤《いや》しからずして、頻《しき》りに読書習字の教えを求むるままに、妾もその志に愛《め》でて何角《なにかと》教え導きけるに、彼はいよいよ妾を敬《うやま》い、妾はまた彼を愛して、果《はて》は互いに思い思われ、妾の入浴するごとに彼は来りて垢《あか》を流しくれ、また夜に入《い》れば床《とこ》を同じうして寒天《さむぞら》に凍《こお》るばかりの蒲団《ふとん》をば体温にて暖め、なお妾と互い違いに臥《ふ》して妾の両足《りょうそく》をば自分の両|腋下《えきか》に夾《はさ》み、如何《いか》なる寒気《かんき》もこの隙《すき》に入ることなからしめたる、その真心の有りがたさ。この婦人は大阪の生れにて先祖は相当に暮したる人なりしが、親の代《よ》に至りて家道《かどう》俄《にわか》に衰《おとろ》え、婦人は当地の慣習とて、ある紳士の外妾となりしに、その紳士は太く短こう世を渡らんと心掛くる強盗の兇漢《きょうかん》なりしかば、その外妾となれるこの婦人も定めてこの情を知りつらんとの嫌疑を受けつ、既に一年有余の永《なが》き日をば徒《いたずら》に未決監に送り来れる者なりとよ。この事情を聞きて、妾は同情の念とどめがたく、典獄の巡回あるごとに、その状を具陳して、婦人のために寃枉《えんおう》を訴えけるに、その効《しるし》なりしや否《いな》やは知らねど、妾が三重県に移りける後《のち》、婦人は果して無罪の宣告を受けたりとの吉報《きっぽう》を耳にしき。しかるにかくこの婦人と相親しめりし事の、意外にも奇怪|千万《せんばん》なる寃罪《えんざい》の因となりて、一時妾と彼女と引き離されし滑稽談《こっけいだん》あり、当時の監獄の真相を審《つまび》らかにするの一例ともなるべければ、今その大概を記して、大方《たいほう》の参考に供せん。
五 不思議の濡衣《ぬれぎぬ》
妾《しょう》が彼女を愛し、彼女が妾を敬慕《けいぼ》せるは上《かみ》に述べたるが如き事情なり。世には淫猥《いんわい》無頼《ぶらい》の婦人多かるに、独《ひと》り彼女の境遇のいと悲惨なるを憐《あわ》れむの余り、妾の同情も自然彼女に集中して、宛然《さながら》親の子に対するが如き有様なりしかど、あたかも同じ年頃の、親子といいがたきは勿論《もちろん》、また兄弟姉妹の間柄とも異なりて、他所目《よそめ》には如何《いか》に見えけん、当時妾はひたすらに虚栄心功名心にあくがれつつ、「ジャンダーク」を理想の人とし露西亜《ロシア》の虚無党をば無二《むに》の味方と心得たる頃なれば、両人《ふたり》の交情《あいだ》の如何に他所目《よそめ》には見ゆるとも、妾の与《あずか》り知らざる所、将《は》た、知らんとも思わざりし所なりき。妾はただ彼女の親切に感じ自分も出来得る限り彼に教えて彼の親切に報《むく》いんことを勉《つと》めけるに、ある日看守来りて、突然彼女に向かい所持品を持ち監外に出《い》でよという。さては無罪の宣告ありて、今日こそ放免せらるるならめ、何にもせよ嬉しきことよと、喜ぶにつけて別れの悲しく、互いに暗涙《あんるい》に咽《むせ》びけるに、さはなくて彼女は妾らの室を隔《へだ》つる、二間《けん》ばかりの室に移されしなりき。彼女の驚きは妾と同じく余りの事に涙も出でず、当局者の無法もほどこそあれと、腹立たしきよりは先ず呆《あき》れられて、更に何故《なにゆえ》とも解《と》きかねたる折から、他《た》の看守来りて妾に向かい、「景山《かげやま》さん今夜からさぞ淋《さび》しかろう」と冷笑《あざわら》う。妾は何の意味とも知らず、今夜どころか、只今《ただいま》より淋しくて悲しくて心細さの遣《や》る瀬《せ》なき旨《むね》を答え、何故なればかく無情の処置をなし改化|遷善《せんぜん》の道を遮《さえぎ》り給うぞ、監獄署の処置余りといえば奇怪なるに、署長の巡回あらん時、徐《おもむ》ろに質問すべき事こそあれと、予《あらかじ》めその願意を通じ置きしに、看守は莞然《にこにこ》笑いながら、細君《さいくん》を離したら、困るであろう悲しいだろうと、またしても揶揄《からか》うなりき。その語気《ごき》の人もなげなるが口惜しくて、われにもあらず怫然《ふつぜん》として憤《いきどお》りしが、なお彼らが想像せる寃罪《えんざい》には心付くべくもあらずして、実に監獄は罪人を改心せしむるとよりは、罪人を一層悪に導く処なりと罵《ののし》りしに、彼は僅《わず》かに苦笑して、とかくは自分の胸に問うべしと答えぬ。妾は益※[#二の字点、1−2−22]|気昂《けあが》りて自分の胸に問えとは、妾に何か失策のありしにや、罪あらば聞かまほし、親しみ深き彼女を遠ざけられし理由聞かまほし、と迫りけれども、平生《へいぜい》悪人をのみ取り扱うに慣れたる看守どもの、一図《いちず》に何か誤解せる有様にて、妾の言葉には耳だも仮《か》さず、いよいよ嘲《あざけ》り気味《ぎみ》に打ち笑いつつ立ち去りたれば、妾は署長の巡廻を待って、具《つぶさ》にこの状を語り妾の罪を確かめんと思いおりしに、彼女も他《た》の監房に転じたる悲しさに、慎《つつし》み深き日頃のたしなみをも忘れて、看守の影の遠ざかれるごとに、先生先生|何故《なにゆえ》にかく離隔《りかく》せられしにや、何とぞ早くその故を質《ただ》して始めの如く同室に入らしめよと、打ち喞《かこ》つに、素《もと》より署長の巡廻だにあらば、直ちに愁訴《しゅうそ》して、互いの志を達すべし、暫《しばら》く忍びがたきを忍べかしなど慰めたることの幾度《いくたび》なりしか。
六 直訴
囚人より署長に直訴するは、ほとんど破格の事として許しがたき無礼の振舞に算《かぞ》えらるる由《よし》なるも、妾《しょう》は少しもその事を知らず、ある日巡廻し来れる署長を呼び止めしに、署長も意外の感ありしものの如くなりしが、他《た》の罪人と同一ならぬ理由を以て妾の直訴を聞き取り、更に意外の感ありし様子にて、彼女をも訊問の上、黙して帰署したりと思うやがての事、彼女は願いの如く、妾の室に帰り来りぬ。あとにて聞けばこの事の真相こそ実《げ》に筆にするだに汚《けが》らわしき限りなれ。今日《こんにち》は知らずその当時は長き年月の無聊《むりょう》の余りにやあらん、男囚《だんしゅう》の間には男色《だんしょく》盛んに行われ、女囚もまた互いに同気《どうき》を求めて夫婦の如き関係を生じ、両女の中の割合に心|雄々《おお》しきは夫《おっと》の如き気風となり、優《やさ》しき方は妻らしく、かくて不倫《ふりん》の愛に楽しみ耽《ふけ》りて、永年《えいねん》の束縛を忘れ、一朝変心する者あれば、男女間における嫉妬《しっと》の心を生じて、人を傷《そこな》い自ら殺すなどの椿事《ちんじ》を惹《ひ》き起すを常としたりき。現に厠《かわや》に入りて、職業用の鋏刀《はさみ》もて自殺を企《くわだ》てし女囚をば妾も目《ま》の当りに見て親しく知れりき。されば無智蒙昧《むちもうまい》の監守どもが、妾の品性を認め得ず、純潔なる慈《いつく》しみの振舞を以て、直ちに破倫《はりん》非道の罪悪と速断しけるもまた強《あなが》ちに無理ならねど、さりとては余りに可笑《おか》しく、腹立たしくて、今もなお忘れがたき記念の一つぞこれなる。
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第五 既決監
一 監房清潔
中の島未決監獄にある事一年有余にして、堀川監獄の既決監に移されぬ。なお未決ながら公判開廷の期の近づきしままに、護送の便宜上|客分《きゃくぶん》としてかくは取り斗《はか》らわれしなりけり。退《の》っ引《ぴ》きならぬ彼女との別離は来りぬ、事件の進行して罪否いずれにか決する時の近づきしをば、切《せ》めてもの心やりにして。堀川にてはある一室の全部を開放して、妾《しょう》を待てり。中の島未決監よりは、監房また更《さら》に清潔にして、部屋というも恥かしからぬほどなり、ここに移れる妾は、ようよう娑婆《しゃば》に近づきたらん心地《ここち》もしつ。此処《ここ》にても親しき友は間もなく妾の前に現われぬ、彼らは若き永年囚なりけり。いずれも妾の歓心を得べく、夜ごとに妾の足を撫《な》でさすり、また肩など揉《も》みて及ぶ限りの親切を尽しぬ。妾は親の膝下《しっか》にありて厳重なる教育を受けし事とて、かかる親しみと愛とを以て遇せらるるごとに、親よりもなお懐《なつ》かしとの念を禁ぜざるなりき。
二 お政《まさ》
ここにお政とて大阪監獄きって評判の終身囚ありけり。容姿《ようし》優《すぐ》れて美しく才気あり万事に敏《さと》き性《せい》なりければ、誘工《ゆうこう》の事|総《すべ》てお政ならでは目が開《あ》かぬとまでに称《たた》えられ、永年の誘工者、伝告者として衆囚より敬《うやま》い冊《かしず》かれけるが、彼女もまた妾のここに移りてより、何くれと親しみ寄りつ、読書《とくしょ》に疲れたる頃を見斗《みはから》いては、己《おの》が買い入れたる菓子その他の食物《しょくもつ》を持ち来り、算術を教え給え、算用数字は如何《いか》に書くにやなど、暇《ひま》さえあればその事の外《ほか》に余念もなく、ある時は運動がてら、水撒《みずまき》なども気散《きさん》じなるべしとて、自ら水を荷《にな》い来りて、切《せつ》に運動を勧めしこともありき。彼女は西京《さいきょう》の生れにて、相当の家に成長せしかど、如何《いか》なる因縁《いんねん》にや、女性にして数※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》芸者狂いをなし、その望みを達せんとて、数万《すまん》の金を盗みし酬《むく》いは忽《たちま》ちここに憂《う》き年月を送る身と
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