に登り、三人それぞれに晩餐《ばんさん》を命じけれども、心ここにあらざれば如何《いか》なる美味も喉《のんど》を下《くだ》らず、今や捕吏《ほり》の来らんか、今や爆発の響《ひびき》聞えん乎《か》と、三十分がほどを千日《せんにち》とも待ち詫《わ》びつ、やがて一時間ばかりを経《へ》て宿屋の若僕《わかもの》三人の荷物を肩に帰り来りぬ。再生の思いとはこの時の事なるべし。消毒終りて、衣類も己れの物と着換え、それより長崎行の船に乗りて名に高き玄海灘《げんかいなだ》の波を破り、無事長崎に着きたるは十一月の下旬なり。

 十 絶縁の書

 ここにて朝鮮行の出船を待つほどに、ある日無名氏より「荷物|濡《ぬ》れた東に帰れ」との電報あり。もし渡韓の際政府の注目|甚《はなは》だしく、大事発露の恐れありと認むる時は、誰よりなりとも「荷物濡れた」の暗号電報を発して、互いに警告すべしとは、かつて磯山らと約しおきたる所なりき。さては磯山の潜伏中大事発覚してかくは警戒し来れるにや、あるいは磯山自ら卑怯《ひきょう》にも逃奔《とうほん》せし恥辱《ちじょく》を糊塗《こと》せんために、かくは姑息《こそく》の籌《はかりごと》を運《めぐ
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