ぬはなきぞかし。羞悪《しゅうお》懺悔《ざんげ》、次ぐに苦悶《くもん》懊悩《おうのう》を以《もっ》てす、妾《しょう》が、回顧を充《み》たすものはただただこれのみ、ああ実にただこれのみ也《なり》。
懺悔の苦悶、これを愈《いや》すの道はただ己《おの》れを改むるより他《た》にはあらじ。されど如何《いか》にしてかその己れを改むべきか、これ将《は》た一《いつ》の苦悶なり。苦悶の上の苦悶なり、苦悶を愈すの苦悶なり。苦悶の上また苦悶あり、一の苦悶を愈さんとすれば、生憎《あやにく》に他の苦悶来り、妾《しょう》や今実に苦悶の合囲《ごうい》の内にあるなり。されば、この書を著《あらわ》すは、素《もと》よりこの苦悶を忘れんとての業《わざ》には非《あら》ず、否《いな》筆を執《と》るその事もなかなか苦悶の種《たね》たるなり、一字は一字より、一行は一行より、苦悶は弥※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》勝《まさ》るのみ。
苦悶《くもん》はいよいよ勝るのみ、されど、妾《しょう》強《あなが》ちにこれを忘れんことを願わず、否《いな》昔|懐《なつ》かしの想いは、その一字に一行に苦悩と共に弥増《いやま》すなり。懐かしや
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