んが如く、われながら暫《しば》しは顔も得上げざりき。典獄は沈思《ちんし》してそうあろうそうあろう、察し申す、ただこの上は獄則を謹守し、なお無頼《ぶらい》の女囚を改化遷善の道に赴《おもむ》かしむるよう導き教え、同胞の暗愚を訓誨し、御身《おんみ》が素志《そし》たる忠君愛国の実を挙げ給え、仮令《たとい》刑期は一年半たりとも減刑の恩典なきにしもあらねば一日も早く出獄すべき方法を講じ、父母の膝下《しっか》にありて孝を尽せかしなど、その後も巡回の折々種々に劬《いたわ》りくれられたれば、遂《つい》には身の軽禁銅たることをも忘れて、ひたすら他の女囚の善導に力を致しぬ。

 二 女監の工役

 朝も五時に起きて仕度《したく》をなし、女監取締りの監房を開きに来るごとに、他の者と共に静坐して礼義を施し、次いで井戸端《いどばた》に至りて順次顔を洗い、終りて役場《えきじょう》にて食事をなし、それよりいよいよその日の役《えき》につきて、あるいは赤き着物を縫《ぬ》い、あるいは機《はた》を織り糸を紡《つむ》ぐ。先ず着物の定役《ていえき》を記《しる》さんに赤き筒袖の着物は単衣《ひとえもの》ならば三枚、袷《あわせ》ならば二枚、綿入れならば一枚半、また股引《ももひき》は四足《しそく》縫い上ぐるを定めとし、古き直し物も修繕の大小によりて予《あらかじ》め定数あり、女監取締り一々これを割り渡すなり。妾《しょう》は固《もと》より定役なき身の仮令《たとい》終日|書《しょ》を伴《とも》とすればとて、敢《あ》えて拒む者はあらざるも、せめては、婦女の職分をも尽して、世間の誤謬《ごびゅう》を解《と》かん者と、進んで定役ある女囚と伍し、毎日定役とせる物を仕上げてさて二時間位は罷役《ひえき》より前にわが監房に帰り、読書をなすを例とせり。されば妾出獄の時は相応の工賃を払い渡され、小遣い余りの分のみにてもなお十円以上に上《のぼ》りぬ。これは重禁銅《じゅうきんこ》の者は、官に七分を収めて三分を自分の所有とするが例なるに、妾はこれに反して三分を官に収め七分を自分の有《ゆう》となしければ、在監もし長からんには相応の貯蓄も出来て、出獄の上はひとかどの用に立ちしならん。

 三 藤堂《とうどう》家の老女 

 妾の幸福《さいわい》は、何処《どこ》の獄にありても必ず両三人の同情者を得て陰《いん》に陽《よう》に庇護《ひご》せられしことなり。中にも青木女監取締りの如きは妾の倦労《けんろう》を気遣いて毎度菓子を紙に包みて持ち来り、妾の独《ひと》り読書に耽《ふけ》るをいと羨《うらや》ましげに見惚《みと》れ居たりき。されば妾もこの人をば母とも思いて万事|隔《へだ》てなく交わりければ、出獄の後《のち》も忘るる能《あた》わず、同女が藤堂《とうどう》伯爵邸《はくしゃくてい》の老女となりて、東京に来りし時、妾は直ちに訪れて旧時を語り合い、何とか報恩の道もがなと、千々《ちぢ》に心を砕《くだ》きし後《のち》、同女の次女を養い取りて聊《いささ》か学芸を授《さず》けやりぬ。

 四 少女

 妾《しょう》の在監中、十六歳と十八歳の二少女ありけり、年下なるはお花、年上なるはお菊《きく》と呼べり。この二人《ににん》を特《こと》に典獄より預けられて、読み書き算盤《そろばん》の技は更なり、人の道ということをも、説き聞かせて、及ぶ限りの世話をなすほどに、頓《やが》て両女がここに来れる仔細《しさい》を知りぬ。お花は心の様《さま》さして悪しからず、ただ貧しき家に生れて、一年《ひととせ》村の祭礼の折とかや、兄弟多くして晴衣《はれぎ》の用意なく、遊び友達の良き着物着るを見るにつけても、わが纏《まと》える襤褸《つづれ》の恨《うら》めしく、少女心《おとめごころ》の浅墓《あさはか》にも、近所の家に掛《か》けありし着物を盗みたるなりとぞ。またお菊は幼少の時|孤児《みなしご》となり叔父《おじ》の家に養われたりしが、生れ付きか、あるいは虐遇せられし結果にや、しばしば邪《よこしま》の径《みち》に走りて、既に七回も監獄に来り、出獄の日ただ一日を青天の下《もと》に暮せし事もありしよし。打ち見たる処、両女とも、十人|並《なみ》の容貌を具えたるにいとど可憫《ふびん》[#「可憫《ふびん》」はママ]の加わりて、如何《いか》で無事出獄の日には、わが郷里の家に養い取りて、一身《いっしん》の方向を授けやらばやと、両女を左右に置きて、同じく読書習字を教え、露些《つゆいささ》かも偏頗《へんぱ》なく扱いやりしに、両女もいつか妾に懐《なつ》きて、互いに競うて妾を劬《いた》わり、あるいは肩を揉《も》み脚を按《さす》り、あるいは妾の嗜《たしな》む物をば、己《おの》れの欲を節して妾に侑《すす》むるなど、いじらしきほどの親切に、かかる美徳を備えながら、何故《なにゆえ》盗みの罪は犯したりしぞと
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