》ながらも大きなる過失は、なかりしならんに、志《こころざし》薄く行い弱くして、竜頭蛇尾《りゅうとうだび》に終りたること、わが身ながら腑甲斐《ふがい》なくて、口惜《くちお》しさの限り知られず。

 六 遣《や》る瀬《せ》なき思い

 右の如き、窮厄《きゅうやく》におりながら、いわゆる喉元《のどもと》過ぎて、熱さを忘るるの慣《なら》い、憂《う》たてや血気の壮士は言うも更《さら》なり、重井《おもい》、葉石《はいし》、新井《あらい》、稲垣《いながき》の諸氏までも、この艱難《かんなん》を余所《よそ》にして金が調《ととの》えりといいては青楼《せいろう》に登り絃妓《げんぎ》を擁《よう》しぬ。かかる時には、妾はいつも一人ぽっちにて、宿屋の一室に端座《たんざ》し、過去を思い、現在を慮《おもんばか》りて、深き憂いに沈み、婦女の身の最《い》とど果敢《はか》なきを感じて、つまらぬ愚痴《ぐち》に同志を恨《うら》むの念も起りたりしが、復《ま》た思いかえして、妾は彼らのために身を尽さんとには非《あら》ず、国のため、同胞のためなれば、などか中途にして挫折《ざせつ》すべき、アア富井女史だにあらばなどと、またしても遣《や》る瀬《せ》なき思いに悶《もだ》えて、ある時|詠《よ》み出でし腰折《こしおれ》一首《いっしゅ》
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かくまでに濁《にご》るもうしや飛鳥川《あすかがわ》
     そも源《みなもと》をただせ汲《く》む人
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 七 女乞食

 愁《うれ》いの糸のいとど払いがたかりしある日の事なり、八軒屋の旅宿にありて、ただ一人二階なる居間の障子《しょうじ》を打ち開き、階下に集《つど》える塵取船《ちりとりぶね》を眺《なが》めたりしに、女乞食の二、三歳なる小供を負いたるが、頻《しき》りに塵《ちり》の中より紙屑《かみくず》を拾い出し、これをば籠《かご》に入れ居たり。背なる小供は母の背に屈《かが》まりたるに、胸を押されて、その苦しさに堪えずやありけん、今にも窒息《ちっそく》せんばかりなる声を出して、泣き叫びけれども、母は聞えぬ体《てい》にて、なお余念なく漁《あさ》り尽し、果ては魚《うお》の腹腸《はらわた》、鳥の臓腑様《ぞうふよう》の物など拾い取りてこれを洗い、また料理する様《さま》のいじらしさに、妾は思わず歎息して、アアさても人の世はかばかり悲惨のものなりけるか、妾貧しけれども、なおこの乞食には優《まさ》るべし、思えば気の毒の母よ子よと惻隠《そくいん》の心|禁《とど》めがたくて、覚えず階上より声をかけつつ、妾には当時大金なりける五十銭紙幣に重錘《おもり》をつけて投げ与えけるに、彼女は何物が天より降《ふ》り来りしとように驚きつつ、拾いとりてまた暫《しば》し躊躇《ためら》いたり。妾は重《かさ》ねて、それを小供に与えよと言いけるに、始めて安堵《あんど》したるらしく、幾度《いくたび》か押し戴《いただ》くさまの見るに堪えず、障子をしめて中《うち》に入り、暫《しばら》くして外出せんとしたるに、宿の主婦は訝《いぶか》りつつ、「あんたはんじゃおまへんか先刻《さっき》女の乞食にお金をやりはったのは」という。さなりと妾は首肯《うなず》きたるに、「いんまさき小供を負《お》ぶって、涙を流しながら、ここの女のお客はんが裏の二階からおぜぜを投げてくだはったさかい、ちょっとお礼に出ました、お名前を聞かしてくれといいましたが、乞食にお名まえを聞かす事かいと思いましたさかいに、ただ伝えてやろと申してかえしました、まあとんだ御散財《ごさんざい》でおました」という。慈善は人のためならず、妾は近頃になく心の清々《すかすが》しさを感ぜしものから、譬《たと》えば眼《まなこ》を過ぐる雲煙《うんえん》の、再び思いも浮べざりしに、図《はか》らずも他日《たじつ》この女乞食と、思い儲《もう》けぬ処に邂逅《であ》いて、小説らしき一場《いちじょう》の物語とは成りたるよ。ついでなれば記《しる》し付くべし。

 八 一場《いちじょう》の悲劇

 その年の十二月大事発覚して、長崎の旅舎に捕われ、転じて大阪(中の島)の監獄に幽《ゆう》せらるるや、国事犯者として、普通の罪人よりも優待せられ、未決中は、伝告者《でんこくしゃ》即ち女監の頭領となりて、初犯者および未成年者を収容する監倉《かんそう》を司《つかさど》ることとなりぬ。依《よ》りて初犯者をば改化|遷善《せんぜん》の道に赴《おもむ》かしむるよう誘導の労を執《と》り、また未成年者には読書習字を教えなどして、獄中ながらこれらの者より先生先生と敬《うやま》われつつ、未決中無事に三年を打ち過ぎしほどなれば、その間《あいだ》随分種々の罪人に遇《あ》いしが、その罪人の中にはまたかかる好人物もあるなり、かかる処にてかかる看板《かんばん》を附けおらざりせば、誰《
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