の間《ま》に閉じられ、妾は一年有余の軽禁錮《けいきんこ》を申し渡されたり。重井、葉石らの重《おも》だちたる人々は、有期流刑とか無期とかの重罪なりければ、いずれも上告の申し立てをなしたれども、妾のみは既決に編入せられつ。なお同志の人々と同じ大阪にあるを頼みにて、時にはかの人の消息を聞く事もあらんなど、それをのみ楽しみに思いしに、やがて三重県津市に転監せらるると聞きし時の失望は、木より落ちたる猿《ましら》のそれにも似たらんかし。
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第七 就役
一 典獄の訓誨《くんかい》
伊勢へは我々一年半の刑を受けし人のみにて、十数人の同行者あり。常ならば東海道の五十三|駅《つき》詩にもなるべき景色ならんに、柿色の筒袖《つつそで》に腰縄さえ付きて、巡査に護送せらるる身は、われながら興さめて、駄句《だく》だに出《い》でず、剰《あまつさ》え大阪より附き添い来りし巡査は皆|草津《くさつ》にて交代となりければ、切《せ》めてもの顔|馴染《なじみ》もなくなりて、憂《う》きが中に三重県津市の監獄に着く。到着せしは黄昏《こうこん》の頃なりしが、典獄は兼《か》ねて報知に接し居たりと見え、特に出勤して、一同を控所に呼び集め、今も忘れやらざる大声にて、「拙者は当典獄|平松宜棟《ひらまつぎとう》である、おまえさん方は、今回大阪監獄署より当所に伝逓《でんてい》に相成りたる被告人らである、当典獄の配下の許《もと》に来りし上は申すまでもなく能《よ》く獄則を遵守し、一日も早く恩典に浴して、自由の身となるよう致せ、ついてはその方《ほう》らの身分職業姓名を申し立てよ」と、一同をして名乗らしめ、さて妾《しょう》の番になりし時、「お前はいわんでも分る、景山英《かげやまひで》であろう、妙齢の身にしてかかる大事を企て、今|拙者《せっしゃ》の前にこうしていようとは、お前の両親も知らぬであろう、アア今頃は何処《どこ》にどうしているだろうと、暑いにつけ、寒いにつけお前の事を心配しているに相違ない、お前も親を思わぬではなかろう、一朝《いっちょう》国のためと思い誤ったが身の不幸、さぞや両親を思うであろう、国に忠なる者は親にも孝でなくてはならんはずじゃ」と同情の涙を籠《こ》めての訓誨《くんかい》に、悲哀の念急に迫りて、同志の手前これまで堪《こら》えに堪え来りたる望郷の涙は、宛然《さながら》に堰《せき》を破りたら
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