に苦悶|懊悩《おうのう》の余り、暫《しば》し数行《すこう》の血涙《けつるい》滾々《こんこん》たるを覚え、寒からざるに、肌《はだえ》に粟粒《ぞくりゅう》を覚ゆる事|数※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》なり。須臾《しゅゆ》にして、惟《おもえ》らくああかくの如くなる時は、無智無識の人民諸税|収歛《しゅうれん》の酷《こく》なるを怨《うら》み、如何《いかん》の感を惹起せん、恐るべくも、積怨《せきえん》の余情溢れて終《つい》に惨酷《ざんこく》比類なき仏国《ふっこく》革命の際の如く、あるいは露国|虚無党《きょむとう》の謀図《ぼうと》する如き、惨憺悲愴《さんたんひそう》の挙なきにしも非ずと。因って儂ら同感の志士は、これを未萌《みほう》に削除《さくじょ》せざるを得ずと、即《すなわ》ち曩日《さき》に政府に向かって忠告したる所以《ゆえん》なり。かく儂ら同感の志士より、現政府に向かって忠告するは、固《もと》より現当路者の旧蹟《きゅうせき》あるを思えばなり。しかるに今や採用するなく、かえって儂らの真意に悖《もと》り、剰《あまつさ》え日清談判の如く、国辱《こくじょく》を受くる等の事ある上は、もはや当路者を顧《かえり》みるの遑《いとま》なし、我が国の危急を如何《いかん》せんと、益※[#二の字点、1−2−22]政府の改良に熱心したる所以《ゆえん》なり。儂《のう》熟※[#二の字点、1−2−22]《つらつら》考うるに、今や外交日に開け、表《おもて》に相親睦《あいしんぼく》するの状態なりといえども、腹中《ふくちゅう》各※[#二の字点、1−2−22]《おのおの》針を蓄《たくわ》え、優勝劣敗、弱肉強食、日々に鷙強《しきょう》の欲を逞《たくま》しうし、頻《しき》りに東洋を蚕食《さんしょく》するの兆《ちょう》あり、しかして、内《うち》我が国外交の状態につき、近く儂《のう》の感ずる処を拳《あ》ぐれば、曩日《さき》に朝鮮変乱よりして、日清の関係となり、その談判は果して、儂ら人民を満足せしむる結果を得しや。加之《しかのみならず》、この時に際し、外国の注目する所たるや、火を見るよりも明《あき》らけし。しかるにその結果たる不充分にして、外国人も私《ひそ》かに日本政府の微弱無気力なるを嘆ぜしとか聞く。儂思うてここに至れば、血涙《けつるい》淋漓《りんり》、鉄腸《てっちょう》寸断《すんだん》、石心《せきしん》分裂《ぶん
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