しかるに生れて二月《ふたつき》とはたたざる内に、小児は毛細気管支炎《もうさいきかんしえん》という難病にかかり、とかくする中、危篤の有様に陥りければ、苦しき時の神頼みとやら、夫婦は愚にかえりて、風の日も雨の日も厭《いと》うことなく、住居を離《さ》る十町ばかりの築土八幡宮《つくどはちまんぐう》に参詣《さんけい》して、愛児の病気を救わせ給えと祷《いの》り、平生《へいぜい》嗜《たしな》める食物娯楽をさえに断《た》ちたるに、それがためとにはあらざるべけれど、それよりは漸次《ぜんじ》快方に赴《おもむ》きければ、単《ひとえ》に神の賜物《たまもの》なりとて、夫婦とも感謝の意を表し、その後《のち》久しく参詣を怠らざりき。
五 有形無形
妾|幼《よう》より芝居|寄席《よせ》に至るを好《この》み、また最も浄瑠璃《じょうるり》を嗜《たしな》めり。されどこの病児を産みてよりは、全くその楽しみを捨てたるに、福田は気の毒がりて、機《おり》に触れては勧め誘《いざな》いたれど、既に無形の娯楽を得たり、復《ま》た形骸《けいがい》を要せずと辞《いな》みて応ぜず。ただわが家庭を如何《いか》にして安穏《あんおん》に経過せしめんかと心はそれのみに奔《はし》りて、苦悶の中《うち》に日を送りつつも、福田の苦心を思いやりて共に力を協《あわ》せ、僅《わず》かに職を得たりと喜べば、忽《たちま》ち郷里に帰るの事情起る等にて、彼が身心の過労|一方《ひとかた》ならず、彼やこれやの間に、可借《あたら》壮健の身を屈托せしめて、なすこともなく日を送ることの心|許《もと》なさ。
六 渡韓の計画
かくては前途のため善《よ》からじと思案して、ある日|将来《ゆくすえ》の事ども相談し、かついろいろと運動する所ありしに、機《おり》よくも朝鮮政府の法律顧問なる資格にて、かの地へ渡航するの便《びん》を得たるを以て、これ幸いと郷里にも告げず、旅費等は半《なか》ば友人より、その他は非常の手だてにて調《ととの》え、渡韓の準備全く整《ととの》いぬ。当時朝鮮政府に大改革ありて、一時日本に亡命の客《かく》たりし朴泳孝《ぼくえいこう》氏らも大政《たいせい》に参与し、威権|赫々《かくかく》たる時なりければ、日本よりも星亨《ほしとおる》、岡本柳之助《おかもとりゅうのすけ》氏ら、その聘《へい》に応じて朝廷の顧問となり、既にして更に西園寺《さいおんじ
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