き》の体にて容《かたち》を改め、貴嬢願わくはこの書を一覧あれとの事に、何心《なにごころ》なく披《ひら》き見れば、思いもよらぬ結婚申し込みの書なりけり。その文に曰《いわ》く(中略)貴嬢の朝鮮事件に与《くみ》して一死を擲《なげう》たんとせるの心意を察するに、葉石との交情旧の如くならず、他に婚を求むるも容貌《ようぼう》醜矮《しゅうわい》突額《とつがく》短鼻《たんび》一目《いちもく》鬼女《きじょ》怪物《かいぶつ》と異《こと》ならねば、この際身を棄《す》つる方|優《まさ》るらんと覚悟し、かくも決死の壮挙を企てたるなり。可憐《かれん》の嬢が成行きかな。我不幸にして先妻は姦夫《かんぷ》と奔《はし》り、孤独の身なり、かかる醜婦と結婚せば、かかる悲哀に沈む事なく、家庭も睦《むつ》まじく神に仕えらるるならんと云々《うんぬん》。かく読み終れる妾の顔に包むとすれど不快の色や見えたりけん、客はいとど面目なき体にて、アア誤《あやま》てり疎忽《そこつ》千万《せんばん》なりき。ただ貴嬢の振舞を聞きて、直ちに醜婦と思い取れる事の恥かしさよ。わが想像の仇《あだ》となれるを思うに、凡《およ》そ貴嬢を知るほどの者は必ず貴嬢を娶《めと》らんと希《ねが》う者なるべし。さあれ貴嬢にしてもしわが志《こころざし》を酌《く》み給わずば、われは遂《つい》に悲哀の淵《ふち》に沈み果てなん。アア口惜しの有様やとて、ほとんど自失せし様子なりしが、忽《たちま》ち小刀《ナイフ》をポッケットに探《さぐ》りて、妾に投げつけ、また卓子《テーブル》に突き立てて妾を脅迫し、強《し》いて結婚を承諾せしめんとは試みつ。さてこそ遂に狂したれと、妾は急ぎ書生を呼び、好《よ》きほどに待遇《あしら》わしめつつ、座を退《しりぞ》きてその後の成行きを窺《うかが》う中《うち》、書生は客を賺《すか》し宥《なだ》めて屋外に誘《いざな》い、自《みずか》ら築地《つきじ》なる某教会に送り届けたりき。

 三 川上音二郎《かわかみおとじろう》

 これより先、大阪滞在中和歌山市有志の招待を得て、重井《おもい》と同行する事に決し、畝下熊野《はたしたゆや》([#ここから割り注]現代議士山口熊野[#ここで割り注終わり])、小池平一郎《こいけへいいちろう》、前川虎造《まえかわとらぞう》の諸氏と共に同地に至り同所有志の発起《ほっき》に係《かか》る懇親会に臨《のぞ》みて、重井その
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