そろ》。(十九日)
○
無論一部の事には候《そろ》へども江戸《えど》つ子《こ》の略語《りやくご》に難有《ありがた》メの字《じ》と申すが有之《これあり》、難有迷惑《ありがためいわく》の意《い》に候《そろ》軽《かる》くメの字《じ》と略《りやく》し切りたる洒落工合《しやれぐあひ》が一寸《ちよつと》面白いと存候《ぞんじそろ》。(十九日)
親子《おやこ》若《もし》くは夫婦《ふうふ》が僅少《わづか》の手内職《てないしよく》に咽《むせ》ぶもつらき細々《ほそ/\》の煙《けむり》を立てゝ世が世であらばの嘆《たん》を発《はつ》し候《そろ》は旧時《きうじ》の作者が一場《いつぢやう》のヤマとする所に候《そろ》ひしも今時《こんじ》は小説演劇を取分《とりわ》けて申候迄《まうしさふらうまで》もなし実際に於《おい》てかゝる腑甲斐《ふがひ》なき生活状態の到底《たうてい》有得《ありう》べからざる儀《ぎ》となり申候《まうしそろ》、即《すなは》ち今時《こんじ》の内職《ないしよく》の目的《もくてき》は粥《かゆ》に非《あら》ず塩に非《あら》ず味噌《みそ》に非《あら》ず安コートを引被《ひつか》けんが為《ため》に候《そろ》安縮緬《やすちりめん》を巻附《まきつ》けんが為《ため》に候《そろ》今一歩をすゝめて遠慮《ゑんりよ》なく言はしめたまへ安俳優《やすはいいう》に贈り物をなさんが為《た》めに候《そろ》。行跡《ぎようせき》の稍《やゝ》正《たゞ》しと称《しよう》せらるゝ者も猶《なほ》親《おや》に秘《ひ》し夫に秘《ひ》して貯金帳《ちよきんてう》を所持《しよじ》せん為《ため》に候《そろ》。要《えう》するに娘が内職《ないしよく》するは親に関することなく妻が内職《ないしよく》は夫に関《くわん》することなし、一|家《か》の経営上《けいえいじやう》全くこれは別口《べつくち》のお話とも申すべきものに候《そろ》。お前さんのは其処《そこ》にお葉漬《はづけ》かありますよ、これは儂《わたし》が儂《わたし》のお銭《あし》で買つたのですと天丼《てんどん》を抱《かゝ》へ込《こ》み候如《そろごと》きは敢《あへ》て社会|下流《かりう》の事のみとも限《かぎ》られぬ形勢《けいせい》に候《そろ》内職《ないしよく》と人心《じんしん》、是亦《これまた》忽諸《こつしよ》に附《ふ》す可《べ》からざる一問題と存候《ぞんじそろ》。(二十日)
拭掃除《ふきさうじ》も面倒也《めんどうなり》、お茶拵《ちやごしら》へも面倒也《めんどうなり》内職婦人《ないしよくふじん》の時を惜《おし》むこと、金を惜《おし》むよりも甚《はなはだ》しく候《そろ》。煮染《にしめ》の行商《ぎやうせふ》はこれが為《ため》に起《おこ》りて、中々《なか/\》の繁昌《はんじやう》と聞き及《およ》び申候《まうしそろ》文明的《ぶんめいてき》に候《そろ》(二十日)
○
自分《じぶん》が内職《ないしよく》の金《かね》で嫁入衣裳《よめいりいしよう》を調《とゝの》へた娘《むすめ》が間《ま》もなく実家《さと》へ還《かへ》つて来《き》たのを何故《なぜ》かと聞《き》くと先方《さき》の姑《しうと》が内職《ないしよく》をさせないからとの事《こと》ださうだ(二十日)
○
底あり蓋《ふた》ありで親も咎《とが》めず、夫《をつと》も咎めぬものをアカの他人《たにん》が咎《とが》めても、ハイ、止《よ》しませうと出る筈《はず》のない事だが僕《ぼく》とても内職《ないしよく》其《その》ものを直々《ぢき/″\》に不可《わる》いといふのではない、つまらなく手を明《あ》けない為《た》めに始めた内職《ないしよく》が内職《ないしよく》の為《ため》につまらなく手を塞《ふさ》げない事になつて何《な》にも彼《か》にも免《まぬか》れぬ弊風《へいふう》といふのが時世《ときよ》なりけりで今では極点《きよくてん》に達《たつ》したのだ髪《かみ》だけは曰《いは》く有《あ》つて奇麗《きれい》にする年紀《としごろ》の娘がせつせと内職《ないしよく》に夜《よ》の目も合はさぬ時は算筆《さんぴつ》なり裁縫《さいほう》なり第一は起居《たちゐ》なりに習熟《しうじよく》すべき時は五十|仕上《しあ》げた、一|百《そく》仕方《しあ》げたに教育せられ薫陶《くんとう》せられた中から良妻賢母《れうさいけんぼ》も大袈裟《おほげさ》だが並《なみ》一人前の日本《にほん》婦人が出て来る訳《わけ》なら芥箱《ごみばこ》の玉子の殻《から》もオヤ/\鶏《とり》に化《くわ》さねばならない、さうなれば僕も山の芋《いも》を二三日《にさんにち》埋《い》けて置《お》いて竹葉《ちくえう》神田川《かんだがは》へ却売《おろしう》りをする。内職《ないしよく》ではない本業《ほんげふ》だ。(二十日)
○
縁附《えんづ》きてより巳《すで》に半年《はんとし》となるに、何《なに》一つわが方《かた》に貢《みつ》がぬは不都合《ふつがふ》なりと初手《しよて》云々《うん/\》の約束にもあらぬものを仲人《なかうど》の宥《なだ》むれどきかず達《たつ》て娘を引戻《ひきもど》したる母親|有之候《これありそろ》。聞けば此《この》母親娘が或《ある》お屋敷《やしき》の奥向《おくむき》に奉公中《ほうこうちう》臨時《りんじ》の頂戴物《てうだいもの》もある事なればと不用分《ふようぶん》の給料を送りくれたる味の忘られず父親のお人よしなるに附込《つけこ》みて飽迄《あくまで》不法《ふはふ》を陳《ちん》じたるものゝ由《よし》に候《そろ》。さては此《この》母親の言ふに言はれぬ、世帯《せたい》の魂胆《こんたん》もと知らぬ人の一旦《いつたん》は惑《まど》へど現在の内輪《うちわ》は娘が方《かた》よりも立優《たちまさ》りて、蔵《くら》をも建つべき銀行貯金の有るやに候《そろ》。間然《かんぜん》する所なしとのみ只《たゞ》今となりては他《た》に申すやうも無之候《これなくそろ》
○
娘売らぬ親を馬鹿《ばか》だとは申し難《がた》く候《そろ》へども馬鹿《ばか》見たやうなものだとは申得《まうしえ》られ候《そろ》。婿《むこ》を買ふ者あり娘を売る者あり上下《じやうげ》面白き成行《なりゆき》に候《そろ》
○
裾《すそ》曳摺《ひきず》りて奥様《おくさま》といへど、女は竟《つい》に女|也《なり》当世《たうせい》の臍繰《へそくり》要訣《えうけつ》に曰《いわ》く出るに酒入《さけい》つても酒《さけ》、つく/\良人《やど》が酒浸《さけびた》して愛想《あいそう》の尽《つ》きる事もございますれど、其代《そのかは》りの一|徳《とく》には月々《つき/\》の遣払《つかひはら》ひに、少々《せう/\》のおまじないが御座《ござ》いましても、酔《よ》つて居《ゐ》れば気の附《つ》く事ではございませぬ。
○
縦令《たとへ》旦那様《だんなさま》が馴染《なじみ》の女の帯《おび》に、百|金《きん》を抛《なげう》たるゝとも儂《わたし》が帯《おび》に百五十|金《きん》をはずみ給《たま》はゞ、差引《さしひき》何の厭《いと》ふ所もなき訳也《わけなり》。この権衡《つりあひ》の失《うしな》はれたる時に於《おい》て胸《むな》づくしを取るも遅《おそ》からずとは、これも当世《たうせう》の奥様気質也《おくさまかたぎなり》、虎《とら》の巻《まき》の一|節也《せつなり》。
○
夫《をつと》をして三井《みつゐ》、白木《しろき》、下村《しもむら》の売出《うりだ》し広告《くわうこく》の前に立たしむればこれある哉《かな》必要《ひつえう》の一|器械《きかい》なり。あれが欲《ほ》しいの愬《うつた》へをなすにあらざるよりは、毫《がう》もアナタの存在を認《みと》むることなし
○
栄《さかえ》えよかしで祝《いは》はれて嫁《よめ》に来たのだ、改良竈《かいりやうかまど》と同じく燻《くすぶ》るへきではない、苦労《くらう》するなら一度|還《かへ》つて出直《でなほ》さう。いかさまこれは至言《しげん》と考へる。
○
黒縮《くろちり》つくりで裏《うら》から出て来たのは、豈斗《あにはか》らんや車夫《くるまや》の女房、一|町《てう》許《ばかり》行《ゆ》くと亭主《ていし》が待つて居《ゐ》て、そらよと梶棒《かぢぼう》を引寄《ひきよ》すれば、衣紋《えもん》もつんと他人行儀《たにんぎようぎ》に澄《す》まし返りて急いでおくれ。女房も女房|也《なり》亭主も亭主也、男女同権也《どだんじようけんなり》、五穀豊穣也《ごこくほうじようなり》、三|銭均一也《せんきんいつなり》。これで女房が車から下《お》りて、アイと駄賃《だちん》を亭主に渡せば完璧々々《くわんぺき/\/\》
○
状使のこれは極《きは》めて急なれば、車に乗りて行《ゆ》けと命《めい》ぜられたる抱車夫《かゝへしやふ》の、御用《ごよう》となれば精限《せいかぎ》り駈《か》けて駈《か》けて必《かなら》ずお間《ま》は欠《か》かざるべし、されど車に乗ると云《い》ふは、わが日頃《ひごろ》の誓《ちかひ》に反《そむ》くものなれば仰《おほ》せなれども御免下《ごめんくだ》されたし、好《この》みてするものはなき賤《いや》しき業《わざ》の、わが身も共々《とも/″\》に牛馬《ぎうば》に比《ひ》せらるゝを耻《はぢ》ともせず、おなじ思《おも》ひの人の車に乗りて命をも絞《しぼ》らん汗《あせ》の苦しきを見るに忍《しの》びねばと、足袋《たび》股引《もゝひき》の支度《したく》ながらに答へたるに人々《ひと/\》其《その》しをらしきを感じ合ひしがしをらしとは本《もと》此世《このよ》のものに非《あら》ずしをらしきが故《ゆゑ》に此男《このをとこ》の此世《このよ》の車夫《しやふ》とは落ちしなるべし。定《ぢやう》かや足は得洗《えあら》はで病《やまひ》の為《た》めに程《ほど》なく没《ぼつ》したりとぞ
○
エモンを字の如《ごと》くイモンと読んで衣《きぬ》に附《つ》けた紋《もん》と心得《こゝろえ》て居《ゐ》た小説家《せうせつか》があつたさうだが、或《ある》若《わか》い御新造《ごしんぞう》が羽織《はをり》を幾枚《いくまい》こしらへても、実家《じつか》の紋《もん》を附けるのを隣の老婢《ばあや》が怪《あやし》んでたづねると、良人《やど》と儂《わたし》は歳《とし》の十|幾《いく》つも違ふのですもの、永く役に立つやうにして置かねばと何でも無しの挨拶《あいさつ》に、流石《さすが》おせつかいの老婢《ばあや》もそれはそれはで引下《ひきさが》つたさうだ此処迄《こゝまで》来れば憾《うら》みは無い。
○
いつの年《とし》でしたか私《わたくし》の乗りました車夫《くるまや》が足元《あしもと》へ搦《から》み着《つ》へた紙鳶《たこ》の糸目《いとめ》を丁寧《ていねい》に直して遣《や》りましたから、お前《まい》は子持《こもち》だねと申しましたら総領《そうりよう》が七《なゝ》つで男の子が二人《ふたり》あると申しました
○
悠然《いうぜん》と車上《しやじよう》に搆《かま》へ込《こ》んで四方《しはう》を睥睨《へいげい》しつゝ駆《か》けさせる時は往来《わうらい》の奴《やつ》が邪魔《じやま》でならない右へ避《よ》け左へ避《さ》け、ひよろひよろもので往来《わうらい》を叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しつた》されつゝ歩く時は車上《しやじよう》の奴が《やつ》が癇癪《かんしやく》でならない。どちらへ廻《まは》つても気に喰《く》はない。
(以上十月二十日)
○
さうだ、こんな天気のいゝ時だと憶《おも》ひ起《おこ》し候《そろ》は、小生《せうせい》のいさゝか意《い》に満《み》たぬ事《こと》あれば、いつも綾瀬《あやせ》の土手《どて》に参《まゐ》りて、折《を》り敷《し》ける草の上に果《はて》は寝転《ねころ》びながら、青きは動かず白きは止《とゞ》まらぬ雲を眺《なが》めて、故《ゆゑ》もなき涙の頻《しき》りにさしぐまれたる事に候《そろ》。兄《あに》さん何して居《ゐ》るのだと舟大工《ふなだいく》の子の声を懸《か》け候《そろ》によれば其《その》時の
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 緑雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング