小生《せうせい》は兄《あに》さんに候《そろ》如斯《かくのごと》きもの幾年《いくねん》厭《あ》きしともなく綾瀬《あやせ》に遠《とほざ》かり候《そろ》後《のち》は浅草公園《あさくさこうえん》の共同《きようどう》腰掛《こしかけ》に凭《もた》れて眼《め》の前を行交《ゆきか》ふ男女《なんによ》の年配《ねんぱい》、風体《ふうてい》によりて夫々《それ/″\》の身の上を推測《おしはか》るに、例《れい》の織《お》るが如《ごと》くなれば心《こゝろ》甚《はなは》だ忙《いそが》はしけれど南無《なむ》や大慈《たいじ》大悲《たいひ》のこれ程《ほど》なる消遣《なぐさみ》のありとは覚《おぼ》えず無縁《むえん》も有縁《うえん》の物語を作り得《え》て独《ひと》り窃《ひそか》にほゝゑまれたる事に候《そろ》。御覧《ごらん》よ、まだあの小父《おぢ》さんが居《ゐ》るよと小守娘《こもりむすめ》の指を差し候《そろ》によれば其《その》時の小生《せうせい》は小父《おぢ》さんに候《そろ》。猶《なほ》こゝに附記《ふき》すべき要件《えうけん》有之《これあり》兄《あに》さんの帰りは必ずよその家《いへ》に飲めもせぬ一抔の熱燗《あつかん》を呼び候《そろ》へども。小父《おぢ》さんの帰りはとつかはと馬車に乗りて喰《く》はねばならぬ我宿《わがやど》の三|膳《ぜん》の冷飯《ひやめし》に急ぎ申候《まうしそろ》。今《いま》や則《すなは》ち如何《いかん》前便《ぜんびん》申上《まうしあ》げ候《そろ》通り、椽端《えんばた》の日向《ひなた》ぼつこに候《そろ》。
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白氏《はくし》が晴天《せいてん》の雨の洒落《しやれ》ほどにはなく候《そろ》へども昨日《さくじつ》差上《さしあ》げ候《そろ》端書《はがき》十五|枚《まい》もより風の枯木《こぼく》の吹けば飛びさうなるもののみ、何等《なんら》風情《ふぜい》をなすべくも候《そろ》はず、取捨《とりすて》は御随意《ごずいい》に候《そろ》骨《ほね》の折《を》れる事には随分《ずいぶん》骨を折り候《そろ》男と我《われ》ながらあとにて感服仕候《かんぷくつかまつりそろ》。日影《ひかげ》弱《よは》き初冬《はつふゆ》には稀《まれ》なる暖《あたゝか》さに候《そろ》まゝ寒斉《かんさい》と申すにさへもお耻《はづ》かしき椽端《えんばた》に出《い》でゝ今日《こんにち》は背を曝《さら》し居《を》り候《そろ》、所謂《いはゆる》日向《ひなた》ぼつこに候《そろ》日向《ひなた》ぼつこは今の小生《せうせい》が唯一《ゆいいつ》の楽しみに候《そろ》、人知《ひとし》らぬ楽しみに候《そろ》、病《や》むまじき事|也《なり》衰《おとろ》ふまじき事|也《なり》病《や》み衰《おとろ》へたる小生等《せうせいら》が骨は、人知《ひとし》らぬ苦《く》を以《もつ》て、人知《ひとし》らぬ楽《たのし》みと致候迄《いたしそろまで》に次第《しだい》に円《まる》く曲り行《ゆ》くものに候《そろ》。御憫笑可被下度候《ごびんせふくだされたくそろ》
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読むのもいや書くのもいや、仕方《しかた》がないと申す時あるを小生《せうせい》は感じ申候《まうしそろ》。なまけ者の証拠《しようこ》と存候《ぞんじそろ》この仕方《しかた》がない時|江川《えがは》の玉乗りを見るに定《さだ》めたる事|有之候《これありそろ》、飛離《とびはな》れて面白いでもなく候《そろ》へどもほかの事の仕方《しかた》がないにくらべ候《そろ》へばいくらか面白かりしものと存候《ぞんじそろ》たゞ其頃《そのころ》小生《せうせい》の一|奇《き》と致候《いたしそろ》は萬場《ばんじやう》の観客《かんかく》の面白げなるべきに拘《かゝわ》らず、面白《おもしろ》げなる顔色《がんしよく》の千番《せんばん》に一番|捜《さが》すにも兼合《かねあひ》と申《もう》すやらの始末《しまつ》なりしに候《そろ》度々《たび/″\》の実験《じつけん》なれば理窟《りくつ》は申《まう》さず、今も然《しか》なるべくと存候《ぞんじそろ》愈々《いよ/\》益々《ます/\》然《しか》なるべくと存候《ぞんじそろ》。認《したゝ》め了《をは》りて此《この》一通の段落を見るに「と存候《ぞんじそろ》」の行列也《ぎやうれつなり》、更《さら》に一つを加へて悪文《あくぶん》と存候《ぞんじそろ》
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容易《ようい》に胸隔《きようかく》を開《ひら》かぬ日本人《にほんじん》は容易《ようい》に胸隔《きようかく》を閉《と》つる日本人《にほんじん》に候《そろ》、失望《しつぼう》の相《さう》ならざるなしと、甞《かつ》て内村《うちむら》先生申され候《そろ》。然《しか》り小生《せうせい》も日本人《にほんじん》に候《そろ》拒《こば》まざるが故《ゆゑ》に此言《このげん》を為《な》し候《そろ》
[#地から1字上げ](以上十一月廿一日)
底本:「明治の文学 第15巻 斎藤緑雨」筑摩書房
2002(平成4)年7月25日初版第1刷発行
底本の親本:「緑雨遺稿」木下出版商社
1907(明治40)年10月
初出:「平民新聞 第2、4、5、6、8号」平民社
1903(明治36)年11月22日〜1904(明治37)年1月3日
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2−67)と「≫」(非常に大きい、2−68)に代えて入力しました。
入力:H.YAM
校正:noriko saito
2010年1月15日作成
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