《いなり》の祠《ほこら》なり。此地《こゝ》には妓楼《ぎろう》がありますでな、酉《とり》の無いのも異《い》なものぢやといふ事でと、神酒《みき》の番《ばん》するらしきが何《なに》ゆゑかあまたゝび顔撫《かほな》でながら、今日限《こんにちかぎ》り此祠《このほこら》を借《か》りましたぢや。これも六七年前。下総《しもふさ》は市川《いちかは》、中山《なかやま》、船橋辺《ふなばしへん》の郊行《かう/\》の興深《きようふか》からず、秋風《あきかぜ》の嚏《くさめ》となるを覚《おぼ》えたる時の事に候《そろ》。(十七日)
      ○
人目《ひとめ》に附易《つきやす》き天井裏《てんじやうゝら》に掲《かゝ》げたる熊手《くまで》によりて、一|年《ねん》若干《そくばく》の福利《ふくり》を掻《か》き招《まね》き得《う》べしとせば斃《たふ》せ/\の数《かず》ある呪《のろ》ひの今日《こんにち》に於《おい》て、そは余《あま》りに公明《こうめい》に失《しつ》したるものにあらずや
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銀座の大通《おほどう》りに空家《あきや》を見るは、帝都《ていと》の体面《たいめん》に関すと被説候人有之候《とかれそろひとこれありそ
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