、損料文字《そんれうもんじ》をとゞめざる事なり。ト僕ガ言つてはヤツパリ広目屋臭《ひろめやくさ》い、追《おい》て悪言《あくげん》を呈《てい》するこれは前駆《ぜんく》さ、齷齪《あくせく》するばかりが平民《へいみん》の能でもないから、今一段の風流《ふうりう》気《き》を加味《かみ》したまへ但《たゞ》し風流《ふうりう》とは墨斗《やたて》、短冊《たんざく》瓢箪《へうたん》の謂《いひ》にあらず(十五日)
何《どれ》も是《こ》れも俊秀《しゆんしう》なら、俊秀《しゆんしう》は一山《ひとやま》百|文《もん》だとも言得《いひえ》られる。さて其《その》俊秀《しゆんしう》なる当代《たうだい》の小説家《せうせつか》が普通|日用《にちよう》の語をさへ知らぬ事は、ヒイキたる僕《ぼく》の笑止《せうし》とするよりも、残念とする所だが今ではこれが新聞記者にも及んだらしい。けふの萬朝報《よろづてうはう》に悪銭《あくせん》に詰まるとあるのは、悪の性質を収得《しうとく》と見ず、消費と見たので記者は悪銭《あくせん》身に附《つ》かずといふのと、悪所《あくしよ》の金には詰まるが習ひといふのと、此《この》二|箇《こ》の俗諺《ぞくげん
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