かくれんぼ
斎藤緑雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)金冠《きんかん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)秀吉|金冠《きんかん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]
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秀吉|金冠《きんかん》を戴《いただ》きたりといえども五右衛門|四天《よてん》を着けたりといえども猿《さる》か友市《ともいち》生れた時は同じ乳呑児《ちのみご》なり太閤《たいこう》たると大盗《たいとう》たると聾《つんぼ》が聞かば音《おん》は異《かわ》るまじきも変るは塵《ちり》の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経《あほだらぎょう》もまたこれを説けりお噺《はなし》は山村|俊雄《としお》と申すふところ育ち団十菊五を島原に見た帰り途《みち》飯だけの突合いととある二階へ連れ込まれたがそもそもの端緒《いとぐち》一向だね一ツ献じようとさされたる猪口《ちょく》をイエどうも私はと一言を三言に分けて迷惑ゆえの辞退を、酒席の憲法恥をかかすべからずと強《し》いられてやっと受ける手頭《てさき》のわけもなく顫《ふる》え半ば吸物椀《すいものわん》の上へ篠《しの》を束《つか》ねて降る驟雨《しゅうう》酌《しゃく》する女がオヤ失礼と軽く出るに俊雄はただもじもじと箸《はし》も取らずお銚子《ちょうし》の代り目と出て行く後影を見澄まし洗濯はこの間と怪しげなる薄鼠色《うすねずみいろ》の栗《くり》のきんとんを一ツ頬張《ほおば》ったるが関の山、梯子段《はしごだん》を登り来る足音の早いに驚いてあわてて嚥《の》み下し物平《ものへい》を得ざれば胃の腑《ふ》の必ず鳴るをこらえるもおかしく同伴《つれ》の男ははや十二分に参りて元からが不等辺三角形の眼をたるませどうだ山村の好男子美しいところを御覧に供しようかねと撃て放せと向けたる筒口俊雄はこのごろ喫《の》み覚えた煙草の煙《けぶり》に紛らかしにっこりと受けたまま返辞なければ往復|端書《はがき》も駄目のことと同伴《つれ》の男はもどかしがりさてこの土地の奇麗のと言えば、あるある島田には間があれど小春《こはる》は尤物《ゆうぶつ》介添えは大吉《だいきち》婆《ばば》呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄は卒業証書授与式以来の胸|躍《おど》らせもしも伽羅《きゃら》の香の間から扇を挙げて麾《さしまね》かるることもあらば返すに駒《こま》なきわれは何と答えんかと予審廷へ出る心構えわざと燭台《しょくだい》を遠退《とおの》けて顔を見られぬが一の手と逆茂木《さかもぎ》製造のほどもなくさらさらと衣《きぬ》の音、それ来たと俊雄はまた顫えて天にも地にも頼みとするは後なる床柱これへ凭《もた》れて腕組みするを海山越えてこの土地ばかりへも二度の引眉毛《ひきまゆげ》またかと言わるる大吉の目に入りおふさぎでござりまするのとやにわに打ちこまれて俊雄は縮み上り誠恐誠惶《せいきょうせいこう》詞《ことば》なきを同伴《つれ》の男が助け上げ今日|観《み》た芝居|咄《ばなし》を座興とするに俊雄も少々の応答《うけこた》えが出来夜深くならぬ間と心むずつけども同伴の男が容易に立つ気色《けしき》なければ大吉が三十年来これを商標と磨《みが》いたる額の瓶《びん》のごとく輝《ひか》るを気にしながら栄《は》えぬものは浮世の義理と辛防《しんぼう》したるがわが前に余念なき小春が歳《とし》十六ばかり色ぽッてりと白き丸顔の愛敬《あいきょう》溢《こぼ》るるを何の気もなく瞻《なが》めいたるにまたもや大吉に認《みつ》けられお前にはあなたのような方《かた》がいいのだよと彼を抑えこれを揚ぐる画策縦横大英雄も善知識も煎《せん》じ詰めれば女あっての後《のち》なりこれを聞いてアラ姉《ねえ》さんとお定まりのように打ち消す小春よりも俊雄はぽッと顔|赧《あか》らめ男らしくなき薄紅葉《うすもみじ》とかようの場合に小説家が紅葉の恩沢に浴するそれ幾ばく、着たる糸織りの襟《えり》を内々直したる初心さ小春俊雄は語呂《ごろ》が悪い蜆川《しじみがわ》の御厄介《ごやっかい》にはならぬことだと同伴《つれ》の男が頓着《とんじゃく》なく混ぜ返すほどなお逡巡《しりご》みしたるがたれか知らん異日の治兵衛はこの俊雄|今宵《こよい》が色酒《いろざけ》の浸初《しみはじ》め鳳雛麟児《ほうすうりんじ》は母の胎内を出《い》でし日の仮り名にとどめてあわれ評判の秀才もこれよりぞ無茶となりける
試みに馬から落ちて落馬したの口調にならわば二つ寝て二ツ起きた二日の後俊雄は割前の金届けんと同伴《つれ》の方《かた》へ出向きたるにこれは頂かぬそれでは困ると世間のミエが推《お》っつやっつのあげくしからば今|一夕《いっせき》と呑《の》むが願いの同伴の男は七つのものを八つまでは灘《なだ》へうちこむ五斗兵衛《ごとべえ》が末胤《まついん》酔えば三郎づれが鉄砲の音ぐらいにはびくりともせぬ強者《つわもの》そのお相伴の御免|蒙《こうぶ》りたいは万々なれどどうぞ御近日とありふれたる送り詞を、契約に片務あり果たさざるを得ずと思い出したる俊雄は早や友仙《ゆうぜん》の袖《そで》や袂《たもと》が眼前《めさき》に隠顕《ちらつ》き賛否いずれとも決しかねたる真向《まっこう》からまんざら小春が憎いでもあるまいと遠慮なく発議者《ほつぎしゃ》に斬《き》り込まれそれ知られては行くも憂《う》し行かぬも憂しと肚《はら》のうちは一上一下虚々実々、発矢《はっし》の二三十も列《なら》べて闘《たたか》いたれどその間に足は記憶《おぼえ》ある二階へ登《あが》り花明らかに鳥何とやら書いた額の下へついに落ち着くこととなれば六十四条の解釈もほぼ定まり同伴《つれ》の男が隣座敷へ出ている小春を幸いなり貰《もら》ってくれとの命令《いいつけ》畏《かしこ》まると立つ女と入れかわりて今日は黒出の着服《きつけ》にひとしお器量|優《まさ》りのする小春があなたよくと末半分は消えて行く片靨《かたえくぼ》俊雄はぞッと可愛げ立ちてそれから二度三度と馴染《なじ》めば馴染むほど小春がなつかしく魂《たまし》いいつとなく叛旗《はんき》を翻えしみかえる限りあれも小春これも小春|兄《にい》さまと呼ぶ妹《いもと》の声までがあなたやとすこし甘たれたる小春の声と疑われ今は同伴の男をこちらからおいでおいでと新田足利勧請文《にったあしかがかんじょうもん》を向けるほどに二ツ切りの紙三つに折ることもよく合点《がてん》しやがて本文通りなまじ同伴あるを邪魔と思うころは紛れもない下心、いらざるところへ勇気が出て敵は川添いの裏二階もう掌《て》のうちと単騎|馳《は》せ向いたるがさて行義よくては成りがたいがこの辺の辻占《つじうら》淡路島通う千鳥の幾夜となく音ずるるにあなたのお手はと逆寄せの当坐の謎《なぞ》俊雄は至極御同意なれど経験《ためし》なければまだまだ心|怯《おく》れて宝の山へ入りながらその手を空《むな》しくそっと引き退け酔うでもなく眠《ねぶ》るでもなくただじゃらくらと更《ふ》けるも知らぬ夜々の長坐敷つい出そびれて帰りしが山村の若旦那《わかだんな》と言えば温和《おとな》しい方よと小春が顔に花散る容子《ようす》を御参《ござん》なれやと大吉が例の額に睨《にら》んで疾《とう》から吹っ込ませたる浅草市羽子板ねだらせたを胸三寸の道具に数え、戻《もど》り路《じ》は角《かど》の歌川《うたがわ》へ軾《かじ》を着けさせ俊雄が受けたる酒盃《さかずき》を小春に注《つ》がせてお睦《むつ》まじいと※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》より易《やす》い世辞この手とこの手とこう合わせて相生《あいおい》の松ソレと突きやったる出雲殿《いずもどの》の代理心得、間、髪を容《い》れざる働きに俊雄君閣下初めて天に昇るを得て小春がその歳暮《くれ》裾曳《すそひ》く弘《ひろ》め、用度をここに仰ぎたてまつれば上げ下げならぬ大吉が二挺三味線《にちょうざみせん》つれてその節《おり》優遇の意を昭《あき》らかにせられたり
おしゅんは伝兵衛おさんは茂兵衛小春は俊雄と相場が極《き》まれば望みのごとく浮名は広まり逢《あ》うだけが命の四畳半に差向いの置炬燵《おきごたつ》トント逆上《のぼせ》まするとからかわれてそのころは嬉《うれ》しくたまたまかけちがえば互いの名を右や左や灰へ曲書《きょくが》き一里を千里と帰ったあくる夜千里を一里とまた出て来て顔合わせればそれで気が済む雛《ひな》さま事罪のない遊びと歌川の内儀からが評判したりしがある夜会話の欠乏から容赦のない欠伸《あくび》防ぎにお前と一番の仲よしはと俊雄が出した即題をわたしより歳一つ上のお夏呼んでやってと小春の口から説き勧めた答案が後日の崇《たた》り今し方明いて参りましたと着更《きが》えのままなる華美姿《はですがた》名は実の賓《ひん》のお夏が涼しい眼元に俊雄はちくと気を留めしも小春ある手前格別の意味もなかりしにふとその後俊雄の耳へ小春は野々宮大尽最愛の持物と聞えしよりさては小春も尾のある狐《きつね》欺《だま》されたかと疑ぐるについぞこれまで覚えのない口舌法《くぜつほう》を実施し今あらためてお夏が好いたらしく土地を離れて恋風の福よしからお名ざしなればと口をかけさせオヤと言わせる座敷の数も三日と続けばお夏はサルもの捨てた客でもあるまいと湯漬《ゆづ》けかッこむよりも早い札附き、男ひとりが女の道でござりまするか、もちろん、それでわたしも決めました、決めたとは誰を、誰でもない山村の若旦那俊雄さまとあにそれこうでもなかろうなれど機を見て投ずる商い上手俊雄は番頭丈八が昔語り頸筋元《くびすじもと》からじわと真に受けお前には大事の色がと言えばござりますともござりますともこればかりでも青と黄と褐《ちゃ》と淡紅色《ももいろ》と襦袢《じゅばん》の袖突きつけられおのれがと俊雄が思いきって引き寄せんとするをお夏は飛び退きその手は頂きませぬあなたには小春さんがと起したり倒したり甘酒進上の第一義俊雄はぎりぎり決着ありたけの執心をかきむしられ何の小春が、必ずと畳みかけてぬしからそもじへ口移しの酒が媒妁《なかだち》それなりけりの寝乱れ髪を口さがないが習いの土地なれば小春はお染の母を学んで風呂のあがり場から早くも聞き伝えた緊急動議あなたはやと千古不変万世不朽の胸《むな》づくし鐘にござる数々の怨《うら》みを特に前髪に命じて俊雄の両の膝《ひざ》へ敲《たた》きつけお前は野々宮のと勝手馴れぬ俊雄の狼狽《うろた》えるを、知らぬ知らぬ知りませぬ憂《う》い嬉しいもあなたと限るわたしの心を摩利支天様《まりしてんさま》聖天様《しょうでんさま》不動様妙見様|日珠様《にっしゅさま》も御存じの今となってやみやみ男を取られてはどう面目が立つか立たぬか性悪者《しょうわるもの》めと罵《ののし》られ、思えばこの味わいが恋の誠と俊雄は精一杯小春をなだめ唐琴屋《からことや》二代の嫡孫色男の免許状をみずから拝受ししばらくお夏への足をぬきしが波心楼《はしんろう》の大一坐に小春お夏が婦多川《ふたがわ》の昔を今に、どうやら話せる幕があったと聞きそれもならぬとまた福よしへまぐれ込みお夏を呼べばお夏はお夏名誉|賞牌《しょうはい》をどちらへとも落しかねるを小春が見るからまたかと泣いてかかるにもうふッつりと浮気はせぬと砂糖八分の申し開き厭気《いやき》というも実は未練窓の戸開けて今鳴るは一時かと仰ぎ視《み》ればお月さまいつでも空とぼけてまんまるなり
脆《もろ》いと申せば女ほど脆いはござらぬ女を説くは知力金力権力腕力この四つを除《の》けて他に求むべき道はござらねど権力腕力は拙《つたな》い極度、成るが早いは金力と申す条まず積ってもごろうじろわれ金をもって自由を買えば彼また金をもって自由を買いたいは理の当然されば男傾城《おとこけいせい》と申すもござるなり見渡すところ知力の世界|畢竟《ひっきょう》ごまかしはそれの増長したるなれば上手にも下手にも出所《しゅっしょ》はあるべしおれが遊ぶのだと思うはまだまだ金を愛《お
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