》しむ土臭い料見あれを遊ばせてやるのだと心得れば好かれぬまでも嫌《きら》われるはずはござらぬこれすなわち女受けの秘訣《ひけつ》色師《いろし》たる者の具備すべき必要条件法制局の裁決に徴して明らかでござるとどこで聞いたか氏《うじ》も分らぬ色道じまんを俊雄は心底《しんそこ》歎服《たんぷく》し満腹し小春お夏を両手の花と絵入新聞の標題《みだし》を極め込んだれど実もってかの古大通《こだいつう》の説くがごとくんば女は端からころりころり日の下開山の栄号をかたじけのうせんこと死者《しびと》の首を斬るよりも易しと鯤《こん》、鵬《ぼう》となる大願発起痴話|熱燗《あつかん》に骨も肉も爛《ただ》れたる俊雄は相手待つ間歌川の二階からふと瞰下《みおろ》した隣の桟橋《さんばし》に歳十八ばかりの細《ほっ》そりとしたるが矢飛白《やがすり》の袖夕風に吹き靡《なび》かすを認めあれはと問えば今が若手の売出し秋子とあるをさりげなく肚《はら》にたたみすぐその翌晩月の出際《でぎわ》に隅《すみ》の武蔵野《むさしの》から名も因縁づくの秋子をまねけば小春もよしお夏もよし秋子も同じくよしあしの何はともあれおちかづきと気取って見せた盃《さかずき》が毒の器たんとはいけぬ俊雄なればよいお色やと言わるるを取附きの浮世噺《うきよばなし》初の座敷はお互いの寸尺知れねば要害|厳《きび》しく、得て気の屈《つま》るものと俊雄は切り上げて帰りしがそれから後は武蔵野へ入り浸り深草ぬしこのかたの恋のお百度秋子秋子と引きつけ引き寄せここらならばと遠くお台所より伺えば御用はないとすげなく振り放しはされぬものの其角《きかく》曰《いわ》くまがれるを曲げてまがらぬ柳に受けるもやや古《ふる》なれどどうも言われぬ取廻しに俊雄は成仏延引し父が奥殿深く秘めおいたる虎《とら》の子をぽつりぽつり背負《しょ》って出て皆この真葛原下《まくずはらした》這《は》いありくのら猫の児へ割歩《わりぶ》を打ち大方出来たらしい噂《うわさ》の土地に立ったを小春お夏が早々と聞き込み不断は若女形《わかおんながた》で行く不破《ふわ》名古屋も這般《このはん》のことたる国家問題に属すと異議なく連合策が行われ党派の色分けを言えば小春は赤お夏は萌黄《もえぎ》の天鵞絨《びろうど》を鼻緒にしたる下駄《げた》の音荒々しく俊雄秋子が妻も籠《こも》れりわれも籠れる武蔵野へ一度にどっと示威運動の吶声《ときのこえ》座敷が座敷だけ秋子は先刻《せんこく》逃水「らいふ、おぶ、やまむらとしお」へ特筆大書すべき始末となりしに俊雄もいささか辟易《へきえき》したるが弱きを扶《たす》けて強きを挫《くじ》くと江戸で逢ったる長兵衛殿を応用しおれはおれだと小春お夏を跳ね飛ばし泣けるなら泣けと悪《あく》ッぽく出たのが直打《ねうち》となりそれまで拝見すれば女|冥加《みょうが》と手の内見えたの格をもってむずかしいところへ理をつけたも実は敵を木戸近く引き入れさんざんじらしぬいた上のにわかの首尾|千破屋《ちはや》を学んだ秋子の流眄《ながしめ》に俊雄はすこぶる勢いを得、宇宙広しといえども間違いッこのないものはわが恋と天気予報の「ところにより雨」悦気面に満ちて四百五百と入り揚げたトドの詰りを秋子は見届けしからば御免と山水《やまみず》と申す長者のもとへ一応の照会もなく引き取られしより俊雄は瓦斯《がす》を離れた風船乗り天を仰いで吹っかける冷酒《ひやざけ》五臓六腑へ浸み渡りたり
それつらつらいろは四十七文字を按《あん》ずるに、こちゃ登り詰めたるやまけの「ま」が脱《ぬ》ければ残るところの「やけ」となるは自然の理なり俊雄は秋子に砂浴びせられたる一旦の拍子ぬけその砂|肚《はら》に入ってたちまちやけの虫と化し前年より父が預かる株式会社に通い給金なり余禄《よろく》なりなかなかの収入《とりくち》ありしもことごとくこのあたりの溝《みぞ》へ放棄《うっちゃ》り経綸《けいりん》と申すが多寡が糸扁《いとへん》いずれ天下《てんが》は綱渡りのことまるまる遊んだところが杖《つえ》突いて百年と昼も夜ものアジをやり甘い辛いがだんだん分ればおのずから灰汁《あく》もぬけ恋は側《はた》次第と目端が利《き》き、軽い間に締りが附けば男振りも一段あがりて村様村様と楽な座敷をいとしがられしが八幡鐘《はちまんがね》を現今《いま》のように合乗り膝枕《ひざまくら》を色よしとする通町辺《とおりちょうへん》の若旦那に真似のならぬ寛濶《かんかつ》と極随《ごくずい》俊雄へ打ち込んだは歳二ツ上の冬吉なりおよそここらの恋と言うは親密《ちかづき》が過ぎてはいっそ調《ととの》わぬが例なれど舟を橋際に着けた梅見帰りひょんなことから俊雄冬吉は離れられぬ縁の糸巻き来るは呼ぶはの逢瀬繁く姉じゃ弟《おとと》じゃの戯《たわ》ぶれが、異なものと土地に名を唄《うた》われわれより男は年下なれば色にはままになるが冬吉は面白く今夜はわたしが奢《おご》りますると銭金を帳面のほかなる隠れ遊び、出が道明《どうみょう》ゆえ厭かは知らねど類のないのを着て下されとの心中立《しんじゅうだ》てこの冬吉に似た冬吉がよそにも出来まいものでもないと新道《しんみち》一面に気を廻し二日三日と音信《おとずれ》の絶えてない折々は河岸《かし》の内儀へお頼みでござりますと月始めに魚一|尾《ひき》がそれとなく報酬の花鳥使《かちょうし》まいらせ候《そろ》の韻を蹈《ふ》んできっときっとの呼出状今方貸小袖を温習《さらい》かけた奥の小座敷へ俊雄を引き入れまだ笑ったばかりの耳元へ旦那のお来臨《いで》と二十銭銀貨に忠義を売るお何どんの注進ちぇッと舌打ちしながら明日《あした》と詞|約《つが》えて裏口から逃しやッたる跡の気のもめ方もしや以前の歌川へ火が附きはすまいかと心配ありげに撲《はた》いた吸殻、落ちかけて落ちぬを何の呪《まじな》いかあわてて煙草を丸め込みその火でまた吸いつけて長く吹くを傍らにおわします弗函《どるばこ》の代表者顔へ紙幣《さつ》貼《は》った旦那殿はこれを癪気《しゃくき》と見て紙に包《くる》んで帰り際に残しおかれた涎《よだれ》の結晶ありがたくもないとすぐから取って俊雄の歓迎費俊雄は十分あまえ込んで言うなり次第の倶浮《ともうか》れ四十八の所分《しょわけ》も授かり融通の及ぶ限り借りて借りて皆持ち寄りそのころから母が涙のいじらしいをなお暁に間のある俊雄はうるさいと家を駈《か》け出し当分冬吉のもとへ御免|候《さぶら》え会社へも欠勤がちなり
絵にかける女を見ていたずらに心を動かすがごとしという遍昭《へんじょう》が歌の生れ変り肱《ひじ》を落書きの墨の痕《あと》淋漓《りんり》たる十露盤《そろばん》に突いて湯銭を貸本にかすり春水翁《しゅんすいおう》を地下に瞑《めい》せしむるのてあいは二言目には女で食うといえど女で食うは禽語楼《きんごろう》のいわゆる実母散《じつぼさん》と清婦湯《せいふとう》他は一度女に食われて後のことなり俊雄は冬吉の家へ転《ころ》げ込み白昼そこに大手を振ってひりりとする朝湯に起きるからすぐの味を占め紳士と言わるる父の名もあるべき者が三筋に宝結びの荒き竪縞《たてしま》の温袍《どてら》を纏《まと》い幅員わずか二万四千七百九十四方里の孤島に生れて論が合わぬの議が合わぬのと江戸の伯母御《おばご》を京で尋ねたでもあるまいものが、あわぬ詮索《せんさく》に日を消すより極楽は瞼《まぶた》の合うた一時とその能とするところは呑むなり酔うなり眠《ねぶ》るなり自堕落は馴れるに早くいつまでも血気|熾《さか》んとわれから信用を剥《は》いで除《の》けたままの皮どうなるものかと沈着《おちつ》きいたるがさて朝夕《ちょうせき》をともにするとなればおのおのの心易立てから襤褸《ぼろ》が現われ俊雄はようやく冬吉のくどいに飽いて抱えの小露が曙染《あけぼのぞ》めを出の座敷に着る雛鶯《ひなうぐいす》欲のないところを聞きたしと待ちたりしが深間《ふかま》ありとのことより離れたる旦那を前年度の穴填《あなう》めしばし袂を返させんと冬吉がその客筋へからまり天か命か家を俊雄に預けて熱海《あたみ》へ出向いたる留守を幸いの優曇華《うどんげ》、機乗ずべしとそっと小露へエジソン氏の労を煩わせば姉さんにしかられまするは初手《しょて》の口|青皇《せいこう》令を司《つかさ》どれば厭でも開く鉢《はち》の梅殺生禁断の制礼がかえって漁者の惑いを募らせ曳く網のたび重なれば阿漕浦《あこぎがうら》に真珠を獲《え》て言うなお前言うまいあなたの安全器を据《す》えつけ発火の予防も施しありしに疵《きず》もつ足は冬吉が帰りて後一層目に立ち小露が先月からのお約束と出た跡尾花屋からかかりしを冬吉は断り発音《はついん》はモシの二字をもって俊雄に向い白状なされと不意の糺弾《きゅうだん》俊雄はぎょッとしたれど横へそらせてかくなる上はぜひもなし白状致します私母は正《まさ》しく女とわざと手を突いて言うを、ええその口がと畳|叩《たた》いて小露をどうなさるとそもやわたしが馴れそめの始終を冒頭に置いての責道具ハテわけもない濡衣《ぬれぎぬ》椀の白魚《しらお》もむしって食うそれがし鰈《かれい》たりとも骨湯《こつゆ》は頂かぬと往時権現様得意の逃支度冗談ではござりませぬとその夜冬吉が金輪奈落《こんりんならく》の底尽きぬ腹立ちただいまと小露が座敷戻りの挨拶《あいさつ》も長坂橋《ちょうはんきょう》の張飛《ちょうひ》睨んだばかりの勢いに小露は顫え上りそれから明けても三国割拠お互いに気まずく笑い声はお隣のおばさんにも下し賜わらず長火鉢の前の噛楊子《かみようじ》ちょっと聞けば悪くないらしけれど気がついて見れば見られぬ紅脂白粉《べにおしろい》の花の裏路今までさのみでもなく思いし冬吉の眉毛の蝕《むしく》いがいよいよ別れの催促客となるとも色となるなとは今の誡《いまし》めわが讐敵《あだ》にもさせまじきはこのことと俊雄ようやく夢|覚《さ》めて父へ詫《わ》び入り元のわが家へ立ち帰れば喜びこそすれ気振《けぶ》りにもうらまぬ母の慈愛厚く門際《もんぎわ》に寝ていたまぐれ犬までが尾をふるに俊雄はひたすら疇昔《きのう》を悔いて出入《ではい》りに世話をやかせぬ神妙《しんびょう》さは遊ばぬ前日《ぜん》に三倍し雨晨月夕《うしんげっせき》さすが思い出すことのありしかど末のためと目をつぶりて折節橋の上で聞くさわぎ唄も易水《えきすい》寒《さぶ》しと通りぬけるに冬吉は口惜《くや》しがりしがかの歌沢に申さらく蝉《せみ》と螢《ほたる》を秤《はかり》にかけて鳴いて別りょか焦れて退《の》きょかああわれこれをいかんせん昔おもえば見ず知らずとこれもまた寝心わるく諦《あきら》めていつぞや聞き流した誰やらの異見をその時初めて肝《きも》のなかから探り出《いだ》しぬ
観ずれば松の嵐《あらし》も続いては吹かず息を入れてからが凄《すさ》まじいものなり俊雄は二月三月は殊勝に消光《くらし》たるが今が遊びたい盛り山村君どうだねと下地を見込んで誘う水あれば、御意はよし往《い》なんとぞ思う俊雄は馬に鞭《むち》御同道|仕《つかま》つると臨時総会の下相談からまた狂い出し名を変え風俗を変えて元の土地へ入り込み黒七子《くろななこ》の長羽織に如真形《じょしんがた》の銀煙管《ぎんぎせる》いっそ悪党を売物と毛遂《もうすい》が嚢《ふくろ》の錐《きり》ずっと突っ込んでこなし廻るをわれから悪党と名告《なの》る悪党もあるまいと俊雄がどこか俤《おもかげ》に残る温和《おとなし》振りへ目をつけてうかと口車へ腰をかけたは解けやすい雪江という二十一二の肌白《はだじろ》村様と聞かば遠慮もすべきに今までかけちごうて逢わざりければ俊雄をそれとは思い寄らず一も二も明かし合うたる姉分のお霜へタッタ一日あの方と遊んで見る知恵があらば貸して下されと頼み入りしにお霜は承知と呑み込んで俊雄の耳へあのね尽しの電話の呼鈴《よびりん》聞えませぬかと被《かぶ》せかけるを落魄《おちぶ》れても白い物を顔へは塗りませぬとポンと突き退け二の矢を継がんとするお霜を尻目《しりめ》にかけて俊雄はそこを立ち出で供待ちに欠伸《あくび》にもまた節奏ありと研究中の金太を先へ帰らせおのれは顔を知ら
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