多數の試行が行はれるといふことも出來るし、又容易な問題では直ちに洞察が行はれて學習され、困難な問題では洞察が遠く働くことが出來ず、當面の難關の所に停滯すといふことが出來る。
故に試行と洞察との概念を確立することによりて、この對立は緩和されるやうに思はれる。殊に近時ハルトマンが十種の問題解決に於ける洞察對試行の研究によると益々私の主張を確かにする。即ち氏の結論によると、洞察が達せられると、學習は確立してくる。學習者の未知の状態に從つて、洞察は突然、直ちに、漸徐に表はれてくる。正しき構造を完成するまでに、試行錯誤は試驗的組織の要素を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入したり、排除したりするに必要であると。
今この二種の概念を吟味すると、洞察といふことは關係の認知といふ所謂狹義の洞察を示す場合と、状態や問題を見透す所の達觀を示す場合とがある。又試行錯誤といふことも問題解決に對して直接の効果を持來さないものではあるが、廣い意味に於ては全くの無關係でない行動の場合とよりよき方法への轉換、即ち成功への試行の場合とがある。故に私は洞察といふことを關係の認知に限定し、状態や問題の解決を見透すことを達觀と稱へ、試行は直接に結果に關係のない行動をさすことにすれば、人間學習には試行もあり、洞察もあり、また達觀もあるといひ得ると思ふ。かくして試行と洞察の對立は無くなつてくる。
五
次に興味ある問題は類型である。類型とは吾人の活動の方向又は形式で、それの研究に靜的方法と動的方法との二方面がある。前者に於ては型の判斷と客觀的測定との間の關係を求めんとするもので、主として米國流の統計的研究者に見る方法である。例へばクレッチュマーの體型の研究に於て、身長、體重、胸圍等の測定は勿論、その他の身體的特徴に於ても出來るだけ客觀的測定を用ひ、それ等よりして客觀的標準を設定し、その標準と型とを結びつけようとする。所が現象的にそれ等の間に一對一の相關を發見しない爲めに、體型の存在を否定するものがある。かゝる態度は單に體型ばかりでなく、他の幾多の精神型の研究に於ても看取される。
これ等の研究方法と對立して居るものは主として獨逸流の研究者の中に見るもので、前述の如き研究態度に對して批判を加へ、動的方法を主張する。即ちそれによると、比率、指
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