解釋を下す必要がある。しかし動的解釋に當りて主觀的分子、甚だしきは任意的解釋の介在してくる餘地が十分にある。今日の類型研究者の中にはこの種の弊に陷つたものもあるやうである。故にその弊を救ふには、觀察者の標準化が必要になる。かの醫師が實際彼等の判斷を標準化し、從つて彼等は豫想し、統制することが出來て居るやうに、將來の類型研究者は判斷の標準化を企つべきで、かくして彼等の判斷は高い程度の精密さに於て相互に一致するに至るであらう。
 實際今日の類型研究の結果が互に相接近して來て居ることは極めて興味あることである。ユングの定めた内向と外向の型は、クレッチュマーの乖離的性格と循環的性格とに關係を有し、これ等兩氏の型はまたイェーンシュの直觀像による分類と關聯して居る。即ちイェーンシュのT型は内向型と乖離性とに接近し、B型は外向型と循環性とに關係がある。尚種々の實驗的研究、例へば單調の作業を永く持續するやうに命じ、その作業量の變化形式と前記の精神型との間に關係が發見され、幾何學的錯視圖を示し、その際に於ける圖形の動搖によりて型を分類し、筋肉的反應と體型との關係を見、手書の一定の樣式の中に共通の型の一群があることが發見されて居る。而して此等の實驗的研究を一貫せる意圖は、個人が如何に反應するかの研究で、個人が反應として何をなすかでない點である。彼等は智能、所謂人格的特質、環境を考察することなく、偶然的因子の介在には無頓着の態度を取る。その上彼等は個人間の類似の點に眼を向け、差異の點に基礎を置いて研究しないやうである。
 尚少しく精密に言へば、環境、個人、文化的全體又は世紀は變數である。それ等は相互に依存關係を有するが、しかし必ずしも相互の間に一對一の關係を有するものでない。かくして環境は有機體の中にそれに相應する變化を引起すことなく、一定の制限内に變化し得る。環境が變化を引起さないとは言はないが、その變化は些少で、精密に相應する反應でない。變數の正常の範圍を越えた變化は有機體に著しい變化を生じ得る。同樣に有機體に於ける變數は一定の範圍内では、相互に獨立して變化し得るのである。(假令それ等が根本的には相互に依存しても)。智能は一個人の中に各瞬間毎に變化し得る。又欲求、情緒及びその他の成分も亦個人の全體像を變化することなくして變化し得るのである。只それ等が正常の制限を越えて變化した時にのみ
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