正義の国と人生
桐生悠々
−−
【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]
−−
ゴオリキの「どん底」に現われた不思議な老人ルカの話によると、シベリアに「非常に貧乏で、惨な暮らし」をしていた或男が、「正義の国」を求めていた。この正義の国には「特別な人間」が住んでいて、しかも「立派な人間ばかりで、互に尊敬し合い、どんな些細なことにも助け合う」国であった。そしてこの男は、絶えずこの正義の国を探しに行く用意をしていたが、さなきだに貧乏だった彼は、これがためにますます貧乏となり、結局「寝たまま死を待つより外のない、どん底な生活に陥ってしまった」。でも、彼は落胆しないで何処かに「正義の国」があることを信じて、そこへ行こうとしていた。
或時、このシベリアに一人の学者が流れ込んで来た。この男は早速この学者を探ねて「正義の国」は何処にあるか教えてくれ、そしてそこへ行く道を教えてくれとたのんだ。「学者は早速書物を開いた。地図を広げた……探しも探したが、正義の国はどこにもない。ほかの事は皆きちんと書かれてあるが、正義の国は何処にもなかった」
学者はこの事をこの男に語って聞かせたが、彼はなかなか承知しない。「きっとあるに違いないのだから、もっとよく探してくれ、もし正義の国がお前さんの地図や、本に載っていないなら、その地図や本は、何の役にも立たないものだ」「俺は今日まで辛い辛い思をして、忍んで来たが、それは畢竟正義の国があるということを信じたからだ」。それがないということなら生きている甲斐がないと、腹が立って、腹が立って、「このごろつき、学者が聞いて呆れる、こん畜生」と怒鳴って、学者を殴りつけ、そして家へ帰って、首を縊って死んでしまった。
この男も、この学者も、共にこの「正義の国」が今空間的に、地球上に存在していないことを知っていないのだ。だが、「正義の国」は時間的に何時かは地球上に存在しよう。私たちは、これを信ずる。これを信じないならば、私たちはこの男と同様、生きては行かれない。仮すに時日を以てせよである。だが、この時日は長い長い時日である。幾億年という、無論天文学的数字の時日でもあるだろう。余りにも長い時日だから、これを待つと言っても、衆生は、即ち民衆は待ち切れるものでない。だから、釈迦は阿弥陀経に
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桐生 悠々 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング