科学的新聞記者
桐生悠々
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地から1字上げ](昭和十六年九月)
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人はこの語の意味する明瞭なる理念を知るものは稀であるが、屡宇宙という語を口にする。だが、宇宙に関する近代的理念は思ったよりも空漠である。この空漠性は最近の世紀に於ける包括的思索が欠けているからである。その原因は、統一された中世紀の文明崩壊に次いで、極度の個人主義が跋扈したからである。紀元後千三百年頃には、人は明に、また大に信じて、彼の宇宙に関する理念を語り得た。その後、知識は駸々乎として長大足の進歩を示し、宇宙に関する中世紀の理念は不完全となり、当時の包括的思索も終に信ぜられざるに至った。人は細密なる特殊事項を研究することに一変し、ヴェサリウス、ガリレオ及びギルバート等が、初めて近代的なる科学的方法を以て、特性的なる論文を発表しつつあった。そしてここ四百年間は、一般性から特殊性への一反動があった。
文明が長足の進歩を遂げ、社会の機構が急遽に変化しつつあるので、包括的なる宇宙の理念を考えることは、今困難である。近時の歴史はこの反動が極端となったことを示しているようである。今や到るところに於て、人は特殊性に没頭して、一般性を忘却ししかも、かかる態度を示すことを以て、賢明のしるしともしている。生物学の意見を述べる物理学者は小犯罪を犯すものと見られ、賢明に芸術を研究する実業家の商業的敏捷性もまた疑われつつある。人は人類の利益のために働くよりも寧ろ彼等みずからの、またその国家の利益を専門として考えているので、大戦争が頻々として起る。ここ四百年間の人の努力は専門化の一競争に狭められ、典型者は唯それ彼の仕事にのみ熱中して、間接に関係ある殆ど一切の他のものに無智である。四百年前には専門化という新観念は神聖であって、これに次いだ世紀の驚異的なる運動と企画とを発見したほどの輝しい光を発していた。そして包括性という旧観念は漸次に衰退して、専門化によって得られた並立しない知識の堆積中にうずもれている。科学も、産業も、スポーツも、いずれも燦然として光を放っているが、役には立たない。人は今宇宙を見んとする慣習を再学しなければならない。材料は中世紀と比較にならないほど豊富であって、驚くべき視覚を鼓吹するこの慣習が再
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