、圓山川といふ川岸の方へ出て見ると、小高い墓原に燈籠がついてゐて、そこにはそこで、子供もまじりなどして、村の若い衆が踊つてゐるのを見た。そして月は、これらの人間の上に、靜かに冷やかに照つてゐる。私は此墓場にある燈籠からは深い感じを受けた。かかる村の、かういふ風な習慣の中に、生れては死んで行つた、何代もの人々の事を考へると、今更生々しく人生の寂しさに觸れるのを覺えた。

 盆の十六日には、家に祀つてあつた、精靈の眞菰や供物を、小さい舟形に、趣向を凝らして仕立てたのに、幾本も蝋燭を立てて、町中の小川へ流す。精靈《しやうりやう》船にはその家の定紋をつけた帆を揚げてゐるのもあるし、又蓮の花びらが、舟一ぱいに撒き散らされてゐるのもあつた。流された舟が、自分の蝋燭で明るみながら、暗い川尻の方へ流れ漂つて行くのは、何となく、精靈の歸つて行く冥途といふやうなものを暗示させられて、哀れに眺められた。この夜兩岸は見物人で一杯だ。
 夜天の下で營まれる盂蘭盆の行事として、この精靈樣送りは、死んで行つた肉親に對する、さびしい、諦めた愛が示されてゐて、私の心を撃つて來るのを覺えた。

    圓山川

 城崎《
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