然として目を見張つた。これは「谷中村破壊」と云ふ大割礼を受けた翁の自画像だ。僕は今この一篇の大文章を抄出して、君の熟読を求める。
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「独り聖人となるは難からず。社会を天国へ導くの教や難し。是れ聖人の躓く所にして、つまづかざるは稀なり。男子、混沌の社会に処し、今を救ひ未来を救ふことの難き、到底一世に成功を期すべからず。只だ労は自ら是に安んじ、功は後世に譲るべし。之を真の謙遜と言ふ也」
「人として交はるは聖人に如くは無し。然れども神にあらざれば聖に至らず。聖は神に出づ。故に古来聖にして、天を信じ神を信ぜざるは無し。憐むべし、凡庸の徒、神を知らず。知らざれば信ずるに由なし」
「神の姿、目あるものは見るべし。神の声、耳あるものは聞くべし。神の教、感覚あるものは受くべし。此の三者は信ずるに依りて知らる」
「目なき者に見せんとて木像を造る。木像以来、神ますます見えず。音楽以来また天籟に耳を傾くるなし」
「聖人は常の人なり、過不及なき人なり。かの孔子が常あるものを見ば可なりと言はれしは、狭義の常にして予が言ふ所の常は広大の常なり。意は一にして大小の差あり。今世の人の常識を言ふは
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