めて鉱毒問題が提出され、時の農商務大臣陸奥宗光が、これに対する政治的画策を建てた時、原敬は陸奥の秘書官であつた。爾来こゝに十五年、今や原敬は一方には古河鉱業会社の実際的社長として、一方には日本政府の内務大臣として、「鉱毒問題」をば一指弾の下に政治的に抹殺する機会が到来した。
 看よ、その四月、栃木県知事は谷中廃村の手順として、左の諮問案を出した。
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  町村合併に付諮問   下都賀郡谷中村
下都賀郡谷中村は、瀦水池設置の必要上其土地家屋等大半を買収し、村民を他に移住せしめたる為め、将来独立して法律上の義務を負担するの資力なきに至れるものと認むるに依り、谷中村を廃し其区域を藤岡町に合併せんとす。
右諮問す。
 但本月十六日迄に意見答申すべし。
  明治三十九年四月十四日
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[#地から2字上げ]栃木県知事 白仁 武
 十四日にこの文書が県庁を出で、それから村会を開いて、十六日迄に答申せよと言ふのだ。今日の法律は如何か知らぬが、その頃の町村制には、
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「町村会の招集竝に会議の事件を告知するには、急施を要する場合を除くの外少く
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