犠牲の後、普通選挙が始めて漸く公人の問題に上つたが、あれまでに仕上げる為に、中村君が奔走尽力の功労は尋常では無い。中村君は表面に出て顔を売ることを嘗てしない。何時も相当の人を見立てゝは、その人の名で仕事を運ぶ。故に事業が成就した時、誰も中村君を知るものが無い。中村君はまたそれを何とも思つて居ない。けれど、若し「普通選挙」に感謝する新らしい国民があるならば、表面の記録に残る議員や政治家の功労を称讃すると同時に、多年磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]の荒野に潅漑して、時節の到来を待つた恩人中村君の名を知ることも大切であらうと思ふ。
三十歳の春を僕は監獄で迎へた。この一年半の鉄窓生活は、僕の生涯にとつて、実に再生の天寵であつた。今見ると、この囈語の奥に、青年転換の危機が鮮やかに刻まれて、森厳な気に打たれる。
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明治三十年八月十日、日暮れて松本裁判所の裏門を出て、始めて監獄へ送らる。陽国神社の木下闇を行く。夕立の雨はれて空には月美しくかゞやく。
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雨はれて、月は梢に見えながら、名残の雫、森の下道。
○
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一夜、
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