間へ向て訴へて来た悲惨は、事実の百分一にも足らなかつたことに驚いて仕舞はれた。田地が銅毒に侵されてからの一家の零落、肉身の離散を老人や婦人が田舎の飾なき言葉で語る。翁は例の大蛇《おろち》の如き眼球を瞋《いか》らして、『畜生野郎。泥棒野郎』と、破鐘《われがね》の如くに絶叫した。
『皆さん。正造が吃度|敵打《かたきう》ちをしてあげますよ』。
 予は翁が斯う言ひ捨てながら、涙を拭き/\出て行くのを幾度も見た。
 潮田さんは女丈夫であつた。溶けた雪路の、風のピウ/\吹く中をザブ/\と践《ふ》んで先に立つて歩かれた。病人があるとでも聞けば、穢《むさ》い小屋の下へ、臭いと云ふ顔もせずに入り込んで、親切に力を付けてやつた。若い娘が無邪気な顔して賃機織つて居るのなど見ると、傍へ寄つて、様様々問ひ慰めて、恰も自分の生んだ女《こ》でもあるような愛情を注がれた。容易に涙を見せない人であつたが、村を離れて田圃路へでもかゝると、
『一体、如何すれば可いんだね』
と、柔しい木地《きじ》の女性《おんな》に返つて、ホロ/\と泣かれた。
『政治なんて空騒ぎして居る間に、肝腎の人が皆んな亡んぢまつた』
と、翁が腕拱いたま
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