アリ/\と見えた。然れども其の罵詈悪言の余りに猛烈な為めに、予は却て鉱毒問題其物に対して、窃に疑惑を抱かぬでも無かつた。或人は冷かに『田中の鉱毒は政略さ』と笑つて居た。
 予が始めて御目にかゝつたのは、翁が進歩党を脱した、春の未だ寒い時分であつた。其頃予は足尾の山の視察記を書いて居た。或日編輯室で忙がしく筆を運ばせて居ると、社の長老の野村さんが、『田中君が一寸お目に掛りたいと言つて居ますが』、と、例の丁重な調子で言はれた。『田中?』と、予が不審がると、『正造君です』と、野村さんが継ぎ足された。予は直ぐ席を離れて応接室へ行つた。
 左右の壁側に書物棚《ほんだな》を置いて、雨漏のシミのある天井から瓦斯の鉄管がブラ下がつた外には何一つの装飾も無い、ガランとした埃つぽい応接室。古い大きな丸|卓子《テーブル》に肘をついて、乱髪の大頭を深く考え込んだ一個巨大の田舎老漢《いなかおやじ》。大紋の赤くなつた黒木綿の羽織に色の褪せた毛繻子の袴。階下《した》は直ぐ工場で、器械の響で騒がしい。
 予が声を掛けたので、巨大漢は顔を上げた。而《そ》して其の丘のような横広い体躯を揺り起して、額をピタリ卓子につけて痛
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