即ち今日も書類を持つて居る。昨日もこの通り議長に返答致しませうと思ひましたが、予算会議の為に大層議論が忙がしい様に思ひましたから、その間を得て答弁を致しませうと思ひました。或ひは明日でも答弁致しますこれは不審に向ての御答であります』
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詭弁の雄者陸奥は避けて遂に答へなかつた。
廿六日、議会は解散された。陸奥が持つて居ながら、出すことを恐れた答弁書が、議会解散後の官報附録に左の如く載せてある。
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一、群馬栃木両県下渡良瀬沿岸の耕地に被害あるは事実なれども、被害の原因確実ならず。
二、右被害の原因に就ては、目下各専門家の試験調査中なり。
三、鉱業人は成し得べき予防を実施し、独米より粉鉱採聚器を購求して、一層鉱物の流出防止の準備をなせり。
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   農相陸奥宗光を罵る

明治廿五年二月、臨時総選挙施行。これが有名な民党一掃の選挙干渉で世の非難に堪へずして、内務大臣品川弥二郎は、議会召集に先だちて辞職した。
五月二日に臨時議会召集。十一日、先づ貴族院で選挙干渉難詰の建議案通過。翌十二日、衆議院は選挙干渉上奏案の大論戦。上奏案は僅かの少数で敗れたが、越えて十四日決議案は多数で通過した。十六日、七日間議会停会の詔勅。政府は保安条例を施行した。殺気紛々。
その二十日、田中代議士は「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を提出した。前議会に於ける陸奥農相の答弁書には、第二項に於て、「被害の原因に就ては、目下各専門家の試験調査中」と逃げて居たが、この時、医科大学の丹波教授、農科の古在、長岡両教授等の分析調査の結果、渡良瀬沿岸被害の原因は、足尾銅山に在りと云うたが、既に近く世間に発表されて居たから、政府の答弁も勢ひ一歩を進めなければならなかつた。乃ち六月十一日、左の答弁書を送つて来た。
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一、足尾の鉱毒が渡良瀬河岸被害の一原因たることは、試験の結果に依りて之を認めたりと雖《いへど》も、此被害たる、公共の安寧を危殆《きたい》ならしむる如き性質を有せず。其損害の程度は鉱業を停止するに至らず。
二、既往の損害は、行政官たるもの、何等の処分をなすべき職権なし。
三、将来予防の為め、鉱業人は粉鉱採聚器設置の準備中なり。
四、鉱業人は、上野《かうづけ》国待矢場両堰水利土切会と契約し、自費を以て両堰水門内に沈澱場を設け、時々之を浚渫《しゆんせつ》すべき準備中なり。
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この答弁書を見よ、これは政府と云ふ者の態度でなく、全く鉱業者の代理人だ。田中は直に再度の質問書を提出し、その十四日、議会最終日の演壇で次のやうに罵《のゝし》つた。
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『法律があつて法律を実行することが出来ない。法律があり条例があつて、政府がこれを実行しない。――諸君の最も恐るゝ外国条例、条約改正問題中の居留地と云ふものを、尤も恐れるのは何であるか。我帝国に法律あれども、法律が行はれないからである。然るに群馬栃木の中に、この新奇なる古河市兵衛の輩が跋扈《ばつこ》して、新たに居留地を拵《こしら》へ、法律あれども法律を行ふことが出来ない。人民如何に困憊《こんぱい》に陥るとも、農商務大臣の目には少しも見えない。偶々《たま/\》愚論を吐いて曰く、古河市兵衛の営業と云ふものは国家の有益であると。――大きにお世話だ。此方は租税を負担して居ります。古河より先きに住んで租税の負担をして居る人民が今日其土地に居ることが出来ない、祖先来の田畑を耕すことがならず、祖先来の田畑が実《みの》らなくなつたと云ふ事実と比較が出来るものでない。憲法があり法律がある今日、それを執行することが出来ないならば、農商務大臣はその責任を尽さないのである。その責《せめ》を尽すことの出来ないものは速にその職を辞さなければならぬ』
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田中が、議会の演壇で真つ赤になつて、農商務大臣の責任を論じて居る時、政府は裏から手を伸ばして、被害地人民の口に封印を押して居た。地方官吏が権力を以て示談の契約書に調印をさせて居たのだ。見本を一枚見せよう。
       契約書
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下野国上都賀郡足尾に於て、古河市兵衛所営の銅山より流出する粉鉱に就き、渡良瀬川沿岸町村に加害有之に付、今般仲裁人立入、其扱に任し、梁田郡久野村人民より正当なる手続を尽し委任を付托せられたる総代其外十二名と、古河市兵衛との間に熟議契約をなす左の如し。
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第一条 古河市兵衛は粉鉱の流出を防がんが為め、明治二十六年六月三十日を期し、精巧なる粉鉱採聚器を足尾銅山工場に設置する事。
第二条 古河市兵衛に於ては、仲裁人の取扱に任せ、徳義上示談金として左の如く支出するものとす。
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   時の農相榎本武揚

田中の鉱毒の声は、久しく議会に絶えた。一つには議会の解散が頻繁であつたが為め、一つには日清戦争でこの内争の問題を差控へたるが為め。二十九年、渡良瀬の大洪水――三十年二月廿六日、田中は久振りで長広舌を振つた。
この時政府は松方内閣で、大隈重信が外務大臣となり、田中の属する進歩党は政府党であつた。田中の質問に対して、政府は無言で過ぎた。三月十七日彼は催促の演説をした。翌十八日、政府は左の答弁書を議会へ出した。君よこの答弁書は大に注意を要す。
       政府の答弁書
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一、栃木県上都賀郡足尾鉱山鉱毒事件は、明治廿三年以来数回の調査に依り、渡良瀬川沿岸地に鉱毒含有の結果を得たり。而して明治廿五年に至り、鉱業者は仲裁人の扱に任じ、正当なる委任を附託せられたる沿岸町村被害人民総代との間に熟議契約をなし、其正条に基き被害者に対して徳義上示談金を支出し、且つ明治廿六年七月より同廿九年六月三十日までを以て、粉鉱採聚器実効試験中の期限とし、其期間は、契約人民に於て何等の苦情を唱ふるを得ざるは勿論、其他行政司法の処分を請ふが如き事は一切為さざる事を鉱業人と契約し、其局を結びたり。
一、尚ほ鉱毒等より生じたる町村共有地の損害は、第一に記載したる契約第五条に依り、更に明治廿六年七月より起算し、猶将来に付、臨機の協議を遂げ別段の約定を為すか、若くは民法上自ら救済の途あるあれば、之に依るの外無かるべし。
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こゝに政府は始めて「無責任無関係」を公言した。
この報一たび伝はるや、鉱毒地一帯が忽ち殺気立つた。大挙上京の用意に取りかゝつた。
時の農商務大臣は旧幕人の榎本武揚《えのもとたけあき》であつた。同じ旧幕の人の津田仙と云ふ老農学者は、既に長く田中の応援者であつたが、今やこの厚顔無恥の政府の答弁書が、親友榎本の名で発表されたのを残念に思ひ、二十三日、自ら榎本を伴うて鉱毒地の視察に行つた。鉱毒地の農民等は、農商務大臣の視察と聞いて、多大の希望を描いて八方から集まつた。
荒涼悲惨――何たる情景ぞ。むかし孤軍五稜廓に立籠つて官軍を悩ました釜次郎の血液未だ涸《か》れざる榎本は、たゞ憮然《ぶぜん》として深き感慨に沈んだ。無言さながら石像の如き態度に、彼を取り囲んだ被害民は、悲憤の余り、悪言毒語、その無情冷酷を罵つた。
その夜汽車が上野へ着くと、榎本は停車場から馬車を直ちに大隈邸へ向けた。
二十四日、議会の最終日で、大隈外相の演説があり、極めて多忙である中を、田中は無理やり演壇に立つて、鉱業停止を叫んだ。彼はその長演説の最後に於て言を更《あらた》めて議会へ訴へた。
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『諸君にお願ひ申して置きます。成るべく鉱毒地を御覧になつて戴きたい。被害地は東京から二十里そこらしか無い。政府から誰が往つて見た。誰が往つて見た。見ないで居てからに、卓子の上で勝手な人間の報告ぐらゐ聴いて置いてどうするのでございませうか。――
未だ議論は結了しませぬけれども、これで止めます。如何にも憤慨に堪へませぬ、十万以上の人間が毒殺される――(議席に笑ふものあり)諸君の中にはお笑ひなさる御方もございますが、どうも私の力ではこの真状を写し出することが出来ませぬ。御笑になる御方があるから、尚《な》ほ一歩進んで言はなければならぬ事が出来て来ました。農商務大臣の向島の別荘で菜が一本出来なくなつたら、諸君どうする。忽ち自分の頭に感ずるのである。失礼ながら早稲田の大隈さんのあの綺麗な庭が、草もなく花もないとなつたら、諸君どうであるか。自分の身の上に来ればわかるけれども、身の上に来ない中は頭に懸けない。この上尚ほ彼此《かれこれ》面倒な事を申して居りますならば、鉱毒の水を汲んで来て、農商務大臣に飲んで貰ひませう。早い話である。なか/\これくらゐの話で実際の有様を写し出すことが出来るものでございませぬ。どうぞ諸君、御情がありますならば、一日で行つて帰られます。日帰りでも見られます。丁寧に見るには十五日もかゝるが、一個所ぐらゐ見るには、一日で往つて見られますから、どうぞ諸君、此の被害地の模様が、私が嘘をつくのであるか、山掛けなことを申すのであるか御一見下されば相分ることでございます。今の政府は、到底親切なやり方をする政府で無いと認め、この答弁書の有様を見て、残酷なる愚かなる、何とも名の付けやうの無い政府であると断念致しましてございますから、政府を頼まぬ決心でございます。宜しく諸君、この被害地を御一見下さる事を御願ひ申します。是非これを御願ひ申します』
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田中の演説が済むと、政府は「足尾銅山鉱毒調査会」新設の官制及び委員任命の件を、議会へ発表した。昨夜、榎本が大隈を説得したのだ。
二十五日、議会閉院式。
二十八日、榎本は責任を引いて農商務大臣を辞した。
三十日、宮内省からは、広幡侍従が鉱毒地視察。
四月九日、内務大臣樺山資紀の鉱毒地視察。
五月廿七日、鉱毒防禦工事命令書が鉱業人古河市兵衛へ達せられた。
田中正造は、「鉱毒防禦」を要求したのでは無い、「鉱業停止」を求めたのだ。

   政治生活の断崖に立つ

明治三十二年の春、議会が議員の歳費増加案を通過し、田中正造が歳費辞退の已むなき境界に立つた時は、即ちこの人の政治的生活が既に断崖に近寄つた時である。これを知る為には当年政治界の外観を一瞥するの必要がある。一と筆書きにして見たい。
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一、伊藤博文、憲法制定の功労者。一身同体の親友井上馨、その背後に三井。
一、大隈重信、改進党の創立者、背景が三菱。
一、山県有朋、非議会主義の代表者、陸軍の首脳。
 不思議なる運命は、二十三年、この人の総理大臣時代に帝国議会が始めて開かれた。明治廿五年、乱暴なる選挙干渉を行つた内務大臣品川弥二郎はこの直系。
一、日清戦争後、二十八年冬、伊藤内閣は議会に臨むに当りて自由党と提携。議会閉会の後自由党の強要にて党首板垣退助入閣。
一、伊藤内閣は、外務大臣陸奥宗光病気辞職、且つ戦後財政の為め有力な大蔵大臣を要する為め、松方正義大隈重信の二人を入閣させようとしたが、板垣固く大隈を排斥して成立せず。伊藤内閣総辞職。
一、元老会議の推薦にて、二十九年九月十八日、薩閥及進歩党提携の、新内閣成立。
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総理大臣兼大蔵大臣    松方正義
外務大臣         大隈重信
内務大臣         樺山資紀
海軍大臣         西郷従道
拓植大臣兼陸軍大臣    高島鞆之助
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薩派の非立憲的行動、進歩党の猟官的運動、両々相容れず、三十年十一月、進歩党提携を断ちて大隈辞職、鉱毒防禦工事を始めて古河市兵衛へ命令したのはこの時だ。
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一、同十二月廿四日、第十一帝国議会開院式。
 廿五日、進歩党自由党連合して松方内閣不信任決議案提出。衆議院解散。
 廿八日、松方首相辞表提出。
 三十一年二月十日、伊藤博文、
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