政治の破産者・田中正造
木下尚江

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)尚《な》ほ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)上下|苟《いやしく》も

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々頓首

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)愈々《いよ/\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

   若き人々に語る

若き友よ。
「田中正造」――今日突然にこんな名を呼んでも、君には何事かわからない。すこし古い人ならばわかる筈だ。彼等は「鉱毒の田中」「直訴の田中」かうした記憶を朧ろげながら尚《な》ほ何処かに持つて居るだらう。この人の演説、真に獅子吼《ししく》の雄弁を必ず思ひ出すであらう。然し、僕が今この人の名を呼ぶのはこれ等古い人達の苔蒸した記憶を掻き起す為めでは無い。君のやうな、全く名をさへ知らぬ若い人達に、新たにこの人の生涯を聞いて欲しいためだ。

   足尾銅山鉱毒の惨害

矢張り「鉱毒の田中」から始める。
明治二十四年から三十四年に至るこの十年の間、この人は、衆議院の壇上で「足尾鉱毒事件」と云ふものを叫んだ。而《し》かも、遂に議会の理解を得ずに終つた。今日、君に向つてこの死んだ歴史を語る――然し、少しく形骸を言ふならば、君は直に詩眼を以て、その血肉を悟得して呉れることを、僕は信じて居る。
手近かな話だ。停車場で電車を待つ間、休憩室の壁に掛けてある交通地図に目をやつて呉れ。栃木の場面を見て呉れ。日光が直ぐ目につく。並んで足尾の山――此処《こゝ》が今日も名高い古河株式会社の足尾銅山だ。産業の名が赤い字で二つ書いてある「銅」と「亜砒酸」。この亜砒酸の三字に、君の神経は思はず戦慄するだらう。これは製煉所の毒烟から精製して、今ではかくも、古河の大産業となつて居る。鉱山からはこの他無数の害毒が出る。これが一つに溶解して渡良瀬川《わたらせがは》へ流れ落ちた。沿岸は上下両毛の沃野だ。昔時は洪水毎に山上の良土を持ち来つて、両岸の田地を自然に肥したものが、俄《にはか》に毒流を漲《みなぎ》らして死地に化す。――
足尾が古河市兵衛の手に渡つたのが、明治十年だ。彼は不撓不屈の精力で、専心この山の開鑿に従事した。その成績は左の数字の上に明白に現はれて居る。
       足尾の製銅表
[#ここから1字下げ]
明治十年        七七、〇〇〇斤
同 十一年       八一、〇〇〇
同 十二年      一五一、〇〇〇
同 十三年      一五四、〇〇〇
同 十四年      二九〇、〇〇〇
同 十五年      二二三、〇〇〇
同 十六年    一、〇八九、〇〇〇
同 十七年    三、八四九、〇〇〇
同 十八年    六、八八六、〇〇〇
同 十九年    六、〇五二、〇〇〇
同 二十年    五、〇二九、二五七
同 廿一年    六、三六八、五五八
同 廿二年    八、一四六、六六六
同 廿三年    九、七四六、一〇〇
同 廿四年   一二、七〇四、六三五
[#ここで字下げ終わり]
特に古河の事業を俄に刺戟したのは、明治二十一年、当時世界の市場を騒がせた仏国のシンヂケートと契約して、廿三年に至る三年間一万九千噸提供に応じたことで、これが為めに、足尾の山に始めて水力電気の設備が出来た。山上の繁昌は直に下流農村の破滅――看よ、その結果の尤も直接現はれた漁業家の惨状を。
       安蘇足利梁田三郡の漁業家
[#ここから1字下げ]
明治十四年      二、八〇〇戸
同 十七年      二、〇〇〇
同 二十年      一、〇〇〇
同二十一年        七〇〇
[#ここで字下げ終わり]
明治廿三年の秋の大洪水の結果、沿岸農民は始めて起つて運動に手を着けた。最も肥沃の土地が即ち最も惨害の土地だ。此年十二月、足利郡吾妻村と云ふが、臨時村会を開いて、始めて県知事へ一通の上申書を提出した。同時に、栃木県会も、「丹礬毒之儀に付建議」と云ふ決議書を決定した。
農民は更に土と水とを携へて、農商務省へ出頭し、分析のことを請願した。同省の地質所は、人民の依頼に応じて、研究して呉れる処なのだ。然るに、程経て意外にも左の如き曖昧な返事が来た。
[#ここから1字下げ]
 畑土並に流水の定量分析を出願致度旨にて、現品分量問合の趣《おもむき》領承。然るに右分析の義は、当所に於て依頼に応じ難く候間、右様承知有之度、此段及通知候也。
[#ここで字下げ終わり]
   明治廿四年四月廿二日[#地から2字上げ]地質調査所
仕方が無いから、農科大学の古在教授へ依頼した。やがて教授から次の返事が来た。
[#ここから1字下げ]
 過日来御約束の被害土壌四種調査致候処、悉《こと/″\》く銅の化合物を含有致し、被害の原因全く銅の化合物にあるが如く候、別紙は分析の結果及被害圃の処理法に御座候、不具。(別紙略)
[#ここで字下げ終わり]
   六月一日[#地から2字上げ]古在由直

   国会開設の前後

明治二十四年十二月十八日、代議士田中正造は、第二議会へ始めて「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を提出して、茲《こゝ》に足尾銅山鉱業停止の火蓋《ひぶた》を切つた。
田中正造の鉱毒事件史を進める前に、僕は、憲法或は議会に対するこの人達の信念に就て、一応君の理解を得て置く必要がある。今や立憲政治は一般嘲笑の具と化して居る。然れ共田中正造など云ふ人達は、立憲政治は自分等の汗と血とで建立したものだと云ふ篤《あつ》い自覚を持つて居た。従つて議員と云ふものの重大な責任を深く知つて居た。明治十三年、彼は群馬栃木両県民六百八十名の連署した国会開設の請願書を携へて、元老院へ出頭した。次の文章は当時の若い志士の手に成つたもので、今日の君等には如何《いか》にも幼児の戯《たはむ》れに見えようが、この稚気《ちき》の中に当年智者の単純な理想を汲み取つて読んで呉れ。
[#ここから1字下げ]
「伏て惟《おもんみ》るに、陛下恭倹の徳あり、加ふるに聡明叡智の才を以てす。夙に興き夜に寝ね、未だ曾て一月も懈《おこた》らず、天を敬し民を撫するの意、天下に孚《ふ》あり、而して其効験の未だ大に赫著せざるものは何ぞや。患、憲法を立て国会を開かざるに在る也、夫れ国会を開くは、上下の一致を謀るに在り。上下|苟《いやしく》も一致せば、則ち其の患ふる所のものは忽にして消し、其害を為すものは忽にして除き昨日の憂患は乃ち今日の喜楽となり、昨年の窮乏は乃ち今日の富饒と為る也。是故に国会を開く、詢《まこと》に陛下の叡旨の在る所にして亦人民の切に企望する所也」
[#ここで字下げ終わり]
この翌年、「明治二十三年国会開設」の予約が成り、二十二年の二月十一日、愈々《いよ/\》憲法発布。田中は時の県会議長として、この前古未曾有の大典に参列した。この日は稀有な大雪であつた。この栃木の大野人が始めて燕尾服と云ふものを、宿屋の女中に着せて貰ひ、愈々宮中の式場へ出掛けると云ふ朝、郷里の政友へ書いた左の書翰を一読せよ。
[#ここから1字下げ]
「拝啓。幾多の志士仁人が十余年の辛酸遂に空しからず、今日紀元節の佳辰に当り、恐多くも 至上陛下には憲法発布の式を挙行し給ふ。御同慶至極に候。昨夜は余りの嬉しさに眠れ不申候。是より参列の栄に浴する都合に候。実は吾々県会議長は、拝観のことと決定せられ居りしも、種々交渉の上、遂に参列と云ふことに致させ申候。民軍の幸先上々吉にて、何卒御喜び被下度、右御報告申上候。何《いづ》れ帰郷の上、参館色々申上べく候へ共先づ本日の御祝迄。※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々頓首」
[#ここで字下げ終わり]
この文中「拝観」と「参列」とにつき一寸君の注意を求める。初め政府が定めて置いた式場の順序には、県会議長席は「拝観人」の中へ逐ひ込んであつた。この不都合を発見したのは、田中であつた。今日未だ議会が開かれざる間、人民の代表者と云へば県会議長の外に無い。我々こそ今日憲法発表式場の主体でなければならぬ。拝観とは何事ぞや――この議論を以て県会議長達を説き廻はり、一致団結して、政府へ迫つた。政府は驚いて、急に手筈を替へて参列席に改めた。
二十三年七月一日、日本の歴史に見たことの無い衆議院議員の選挙と云ふことが始めて行はれた。田中正造も郷里から推されて代議士になつた。五十歳。
其年十一月二十五日、帝国議会が始めて召集された。衆議院の中心問題は予算であつた。予算議定権の争議であつた。憲法第六十七条の解釈と云ふものが、政府と民党との接戦点であつた。政府は議会の権限を縮少しようとし、民党は議会の権能を伸張しようとする。自由党議員の分裂に依て、民党の主張は先づ敗北した。田中は民党中の最硬派改進党に属して居た。
二十四年十一月廿六日、第二議会の開院式は行はれた。今度は第一議会の失敗に懲り、自由改進両党の提携を固くし、猛烈に政府を突撃する計画で、議会解散の風説は早くも世に伝はつて居た。その上に、田中に取りては、この年始めて鉱毒問題を提げて特殊の戦闘を開かねばならぬ。この多端の折、十一月廿七日、父富造翁死去の電報が来た。二十九日附の田中の端書が残つて居るが、当時※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]忙の状が如実に見える。
[#ここから1字下げ]
「父死去、昨日帰宅、本日埋葬、明日は帰京に付、右申上候」
[#ここで字下げ終わり]

   未来の時代を孕む鉱毒問題

[#ここから1字下げ]
田中代議士が始めて出した鉱毒問題の質問書
「大日本帝国憲法第廿七条には、日本臣民は其所有権を侵さるゝことなしとあり。又日本坑法第三項には、試掘|若《もしく》は採掘の事業、公益に害ある時は、農商務大臣は既に与へたる許可を取消すことを得とあり――然るに栃木県|下野《しもつけ》国上都賀郡足尾銅山より流出する渾《すべ》ての鉱害は、群馬栃木両県の間を通ずる渡良瀬川沿岸の各郡村に年々巨万の損害を被らしめ、田畑は勿論飲用水を害し、堤防草木に至るまで其害を蒙《かうむ》り、将来|尚《なほ》如何なる惨状を呈するに至るやも測《はか》り知るべからず。数年政府の之を緩慢に付し去る理由|如何《いかん》。既往の損害に対する救治の方法如何。将来の損害に於ける防遏《ばうあつ》の手段如何」
[#ここで字下げ終わり]
この十八日、衆議院の予算本会議では、民党査定案が一瀉千里の勢で通過し、二十二日には、今期の議会第一の問題たる海軍拡張の予算案が全部否決された。かく火花を散らして闘ふ政府と民党との衝突は、これ然しながら、藩閥政府打破の旧観念に属す。田中正造が投げた鉱毒問題には、金権政治の弾劾と云ふ未来の時代を孕《はら》んで居た。
十二月廿四日の予算会議、農商務省費目の議事に於て田中代議士は始めて農商務大臣陸奥宗光と顔を合はせた。君は外務大臣の陸奥の名を聞いて居るだらう。此時陸奥は農商務大臣であつた。気の毒なことには、陸奥の次男が古河の養子だ。
[#ここから1字下げ]
田中代議士の質問演説
『農商務省へは先日質問書を出して置きましたが、七日になりましても未だ御答弁が無い。今日此項の費目にかゝらぬ前に御答弁があるだらうと信じて居りましたが、何か御差支があるものと見えて御答弁がありませぬ。議院法には、直に答弁するか、出来なければ出来ない理由を明示すと云ふことがある。七日経て答弁が出来なければ出来ないと云ふことを、本費目に掛る前に、大臣御出席であるから、一応申されて然るべしと思ふ。出来なければ出来ないで宜しい』
陸奥農商務大臣の答弁
『唯今田中君の御質問がございましたが、その御質問の初めに予《かね》て質問書を出して居る、何故に返答が遅いかといふ御催促でありました。その返答は何時でもするつもりで、
次へ
全5ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 尚江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング