扱に任せ、徳義上示談金として左の如く支出するものとす。
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   時の農相榎本武揚

田中の鉱毒の声は、久しく議会に絶えた。一つには議会の解散が頻繁であつたが為め、一つには日清戦争でこの内争の問題を差控へたるが為め。二十九年、渡良瀬の大洪水――三十年二月廿六日、田中は久振りで長広舌を振つた。
この時政府は松方内閣で、大隈重信が外務大臣となり、田中の属する進歩党は政府党であつた。田中の質問に対して、政府は無言で過ぎた。三月十七日彼は催促の演説をした。翌十八日、政府は左の答弁書を議会へ出した。君よこの答弁書は大に注意を要す。
       政府の答弁書
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一、栃木県上都賀郡足尾鉱山鉱毒事件は、明治廿三年以来数回の調査に依り、渡良瀬川沿岸地に鉱毒含有の結果を得たり。而して明治廿五年に至り、鉱業者は仲裁人の扱に任じ、正当なる委任を附託せられたる沿岸町村被害人民総代との間に熟議契約をなし、其正条に基き被害者に対して徳義上示談金を支出し、且つ明治廿六年七月より同廿九年六月三十日までを以て、粉鉱採聚器実効試験中の期限とし、其期間は、契
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