のやうな、全く名をさへ知らぬ若い人達に、新たにこの人の生涯を聞いて欲しいためだ。

   足尾銅山鉱毒の惨害

矢張り「鉱毒の田中」から始める。
明治二十四年から三十四年に至るこの十年の間、この人は、衆議院の壇上で「足尾鉱毒事件」と云ふものを叫んだ。而《し》かも、遂に議会の理解を得ずに終つた。今日、君に向つてこの死んだ歴史を語る――然し、少しく形骸を言ふならば、君は直に詩眼を以て、その血肉を悟得して呉れることを、僕は信じて居る。
手近かな話だ。停車場で電車を待つ間、休憩室の壁に掛けてある交通地図に目をやつて呉れ。栃木の場面を見て呉れ。日光が直ぐ目につく。並んで足尾の山――此処《こゝ》が今日も名高い古河株式会社の足尾銅山だ。産業の名が赤い字で二つ書いてある「銅」と「亜砒酸」。この亜砒酸の三字に、君の神経は思はず戦慄するだらう。これは製煉所の毒烟から精製して、今ではかくも、古河の大産業となつて居る。鉱山からはこの他無数の害毒が出る。これが一つに溶解して渡良瀬川《わたらせがは》へ流れ落ちた。沿岸は上下両毛の沃野だ。昔時は洪水毎に山上の良土を持ち来つて、両岸の田地を自然に肥したものが、俄《には
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