て、何千万と数限なき蜉蝣《かげろふ》が川の真中、幅三間位の処を、列を連ねて真白に飛び登り一時間か半もたちますると、早や流れ下りました。是が毎朝々々十五日位つゞきましたが、只今は少しも飛びませぬ。又た鵜烏といふ鳥が川や沼に四季共、魚を餌にして棲んで居りました。また暑気強き日、大雷が鳴りまして、渡良瀬の河原、焼け砂に急に大雨が降りますと、午後六七時頃には右申上げました河原焼砂は雨に流れ出ます。川水従て泥濁りになりますると、小魚が喜びまして、川原の浅瀬に多く出かけます。是に投網と申すを打ちますと、沢山に取れました。網を持ちませぬ者は、竹箒などで掃き上げて取りましたものでござります。また田面、沼川の辺には、多く白鷺が居りまして、小魚を餌にして飛びあるきましたが、只今では、夕立いたし大雨が降りましても、魚は取れず、白鷺も鵜烏も居りませぬ。」
「大雪十一月の節になりますと、大根や牛蒡《ごばう》や葱芋などが、多く取れました。此の芋などは、人々何れも野中又は道端などに穴を掘りまして、是に馬つけ五駄も七駄も入れて置きました。一戸に付此の塚が三つも四つも五つもござりますから、銘々に我家の印や苗字などを、塚の上にしるしまして、是れに麦種を蒔入れて置きまする。来春に相成りますると、其麦が青々と生えまして、心覚えになりましたものでござりまするが、只今は、鉱毒の為め芋が取れませぬから、何処をあるきましても、此の塚がござりませぬ。」
「大寒十二月の節に相成りますると、貉《むじな》や狐などが、人家軒端や宅地などを、めぐりあるきました。貉はガイ/\/\と鳴き、狐はコン/\/\と鳴く。ケイン/\と鳴くもありました。屋敷まはりなどに、人参など土に埋めて置きますると、掘り出して喰ふものでござりましたが、鉱毒の為め野に鼠も居らず、虫類も無く、魚類も少なき故なるべし、二十歳以下の青年は御存じありますまい。」
筆紙難尽、只今ありまするものは、芝も杉菜と申しまする草のみ満々と延びまする。
明治三十年旧十一月八日書出しましたこと
改明治三十一年旧二月十日
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[#地から2字上げ]六十一歳 庭田源八
深傷の老獅子は吼える
「自然」か。「無智」か。否な、「政治の罪」だ。
鉱毒地に「兇徒嘯集」の大活劇が演ぜられて居る時、田中正造は議会の演壇に立つて居た。彼はこの日、進歩党を捨てた。彼が進歩党員であるが為に、鉱毒問題が動《やゝ》もすれば党派問題と見なされる憂《うれひ》があつた。今や自分が創立以来の進歩党を脱却した以上、諸君も亦党派的感情を離れて、この鉱毒問題を見て呉れ、と言ふのだ。
も一つの雲影がこれ迄常に鉱毒問題を煩《わづら》はして居た。「鉱毒は畢竟《ひつきやう》田中の選挙手段だ」と言ふことだ。彼は進んで言うた。
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『尚ほまたこの田中正造は衆議院議員でございますからして、自分の選挙区の関係があるからやるのだと云ふやうな馬鹿な説が、この議場の中に――一人でも二人でも、左様な御方がある為にこの被害民の不幸を蒙り、また国家の不幸を蒙むると云ふ不都合がござりますれば、私はまた議員をも罷《や》めるのでございます。今日にも罷めるのでございます。さりながら今日辞表を出しますれば、明日は演壇に登ることが出来ませぬから、今一場のお話を致して、議員を罷めまする積りでございます――』
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見よ、演説壇上のこの人を――黒紋付の木綿羽織に、色|褪《あ》せた毛繻子《けじゆす》[#「毛繻子」は底本では「手繻子」]の袴。大きな円い額には長く延びた半白の髪が蓬のやうに乱れて居る。年正に六十。多年の孤身苦闘に、巌丈な肉体も綿のやうに疲れ切つて居る。譬《たと》へば、深傷を負うた一個の老獅子。
十七日、彼は又演壇に立つた。先づ彼の質問書を見よ。
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『亡国に至るを知らざれば、これ即ち亡国の儀に付質問書民を殺すは国家を殺すなり。
法を蔑《ないがしろ》にするは国家を蔑にするなり。
皆自ら国を毀《こぼ》つなり。
財用を濫り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし、これを奈何《いかん》。
右質問に及候也』
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彼はその長演説の終りにかう言うて居る。
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『兇徒嘯集などと大層な事を言ふなら、何故田中正造に沙汰をしなかつたのであるか。人民を撲殺す程の事をするならば、田中正造を拘引して調べないか。大ベラ棒と言はうか。大間抜と言はうか。若しこの議会の速記録と云ふものが皇帝陛下の御覧にならないものならば、思ふざまキタない言葉を以て罵倒し、存分ヒドい罵り様もあるのであるが、勘弁に勘弁を加へて置くのである。苟《いやしく》も立憲政体の大臣たるものが、卑劣と云ふ方から見ようが、慾張り云ふ方から見ようが、腰
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