高山の三十七番地茂呂作造(五十八)妻きは、長女さく(二十四)次女きよ(十)の四人暮し。妻きは語りて曰ふ、元は相応の農家でしたが、今は鉱毒で何も穫れません。心配ばかりして居るので、眼が悪るくなつて、両方共かすかに見えますけれど、着物の縞も見えやんせん。眼でも良けりや、何か出来るけれど――やつと火だけはソロ/\焚きやんすが、針が一と針出来るぢや無し――父ツさんは年取つて腰が痛いしするが、稼《かせ》がなけりや食べられないで、無理べえして稼いで居やんす。目の見える人は思ひやりがありやんせん。自分が見えるもんだから、何をせう彼をせうと言はれるたびに、私は身を切られるやうに思ふんでやんす――」
「船津川字中砂、川村新吉(四十五)の家族。女房は田畑に物が出来なくなつたを気にして、血病のやうにブラ/\わづらつた末、三年前に死んだ。跡に新吉は三人の子供を抱へて気が少し変になる。中庭で側目もふらず機織して居るのが、十四になる長女のお浅。小さい娘の身に一家の安危を負担して居る。縁先には九歳の新三郎と六歳のおい二人が、紅葉のやうな手に繩をなつて居る。お浅は学校へ行く年でありながら、母親代りに立働き、夜が明けると直ぐ織り始めて、毎夜十二時過ぎまで織りつゞける。元は一町近くの百姓であつたものを」
「船津川百七十四番地、鈴木島吉(三十一)女房おえい(二十九)に両親との四人暮し。父は末吉(五十五)母はおなか(六十二)と言ふ。老母おなかは元来酒を嗜《たしな》む所に、近年は痰《たん》が起つて夜分眠られぬ。すると島吉が、老母の好きな酒を飲ませる。酒を飲むと一時痰が納まつて苦痛を忘れると云ふ。近隣の人の言ふには、島吉さんが毎日々々きまつた時刻に隣村へ酒買に行く。それで私共は、島吉さんが通るから正午だんべえと言ふ位。困窮の中から毎日五銭づゝ酒を買つては母に飲ませる。我等が尋ねた時は、丁度午時で島吉が帰つて来て火を焚いて居たが、其の焚火の料と云ふは、女房が渡良瀬へ膝まで浸つて、浮木を拾つて積んで置くのだと云ふ。此の木を焚くと、銅のやうな色の灰が残り、現に其煙で天井の蠅が落ちる。毒だとは思ひながらも仕方がないから、フウと口で吹いては火を起す。此家は元農の外に漁業をも営んで居たが、鉱毒以来、両方共無一物になつてしまひ、拠なく、今は紡車の撚糸をして、糸より細い煙を立てて居る」
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