から帰つて来た。それから直ぐに「内地雑居論」と云ふ小冊子を発売した。西洋人に内地雑居を許せば、日本民族は消滅してしまふと云ふ議論だ。井上と云ふ男が真にさう信じて書いたのか否かは知らぬが、この変装した攘夷論が馬鹿に勃興しかけた保守的心理に投合した。
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一、二十三年十月九日、議会召集令が出て、十一月廿五日を以て愈々多年の民望たる国会が始て開かれることになつた。
一、同三十日、教育勅語。
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 すると、井上がまた「教育と宗教の衝突」と云ふものを書いた。基督教は教育勅語と衝突するから容赦すべきものでないと云ふのだ。「切支丹禁制」の復活だ。凡そ明治時代の文章で、この井上の「教育と宗教の衝突」ほど粗末なものは無かつた。而かもこれほど珍重がられたものも無かつた。日本全地「神道」と「仏教」に関する雑誌で、この井上の衝突論を護符の如くに転載せぬものは無かつたらう。
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一、二十六年九月、山県系の政党国民協会は九州に東北に大会を開いて「非内地雑居」を決議した。
一、同年十月一日、阿部井[#底本は「阿部井
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