な大説教である。」
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 大正十三年のことだ、僕は書いたことさへ覚えて居ないが読んで見ると僕の文章に相違ない。この不用意に書き捨てた十年前の駄文の中に、先生に対する僕の讃歎と評論とは尽きて居るやうな気がする。
 考へて見ると、明治二十年、先生が一時世上の交渉を絶つて、閑窓の下に「開国始末」の著作に没頭された時、攘夷論の犠牲となつて桜田門外の雪と消えた井伊大老の為に、雪寃の史筆を揮つて居られた時は、維新以来久しく窒息状態に潜伏して居た攘夷的感情が、機運一転して擡頭の時節接近した時であつたらしい。「国会開設」「条約改正」の二大要求は、今や政府の一手に収められて、民間の政客志士は、疲労と無事に苦んで居た。総理大臣伊藤博文は憲法起草中。外務大臣井上馨は条約改正の準備。天下泰平謳歌の春。
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一、四月二十日、伊藤首相の主催で、日比谷の鹿鳴館に内外紳士貴婦人の仮装舞踏会。
一、同じく二十七日から三日に渉り、麻布鳥居坂の井上外相邸で、初日は天皇、二日目は皇后、三日目は皇太后、三陛下の臨幸を仰いで演劇天覧。俳優は団十郎、菊五郎、左団次等、出
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