どう云ふわけですか』
と先生は不思議さうに僕の顔を見られるので、僕は、先年先生が始めて普通選挙問題を提出して、世上の物議を起しなさつた折の事を思出して、先生に言うた。
『あの時、僕は「先生は普通選挙に依て政治の頽廃を救ふことが出来ると云ふ御信念ですか」とお尋ねしました所、先生は「それは違ふ。普通選挙の主唱は政治上の義務である。政治は今後益々悪化する」かう仰つしやいました。この御一言で僕は先生の御胸中を明白に知ることが出来たやうに感じましたので、直ぐ話頭を転じて他の話に移つたことを記憶して居ますが――』
『然うです。私も能く記憶して居ります』
と先生は首肯かれた。そこで僕は突き込んでお尋ねした。
『然らば、何故に政治は益々悪化致しますか』
『それは、国民の道念が頽廃したからです』
『国民の道念は何故に頽廃しましたか』
『それは、儒教で言へば天、基督教で言へば神、この天若くは神と云ふ信念が破滅した為めです』
 僕は伸び上がつて言つた。
『御覧なさい。それ程の重い苦悩を、中に担うていらつしやるではありませんか。それが即ち今日先生の御病気ではありませんか。先生今日の御病気は、一個の島田三郎のも
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