は政治問題の時代に非ずして社会問題の時代也」と喝破された先生を君に知つて欲しいのだ。この演説は、全集の都合上、遂に刊行されず、今日我国に於ける社会思想史の研究者にも知られずに居る貴重な材料と思ふから、先生の弁舌のまゝ、抜き書きして、是非とも君に読んで欲しいのだ。少し長いかも知れぬが辛抱して呉れ。
「先づ今日の時勢よりお話申しますと、世人の社会を見ることが、簡単過ぎて居ると思ひます。欧羅巴の人々も過去の歴史に於て、矢張りこの過ちを重ねて居ります。それは何かと言ふに、政治上目に見える弊害があれば、その弊だけを止めれば、社会は大層良くなると思うて、尽力して弊を除きましても、社会は思つた程良くならない。こゝに於て大失望して大騒動となる。我国に於きましても、政治上に種々なる弊害があるから、欧羅巴の様に改革したならば、定めし黄金世界になるであらうと思つて居る者があるが、これは余りに政治に重きを置き過ぎたものと、私は考へます。社会を組立てるには色々道具がある。家族であるとか、国民の教育であるとか、これを集めて社会が出来て居る。この社会的原素の中に政治と云ふものがある。また政治の領分は、社会的事物の大なる者だが、社会全体から見ればその一部分である。されば仮令政治の弊害全部を破りました所で、社会の一部が良くならうが、全部は良くなりませぬ。
 フランスで申しますと、革命前は租税の割合が実に怪しからん有様で、官人貴族または僧侶が多くの不動産を所有し、自分の手に入れて居りながら租税も払はず、租税を払ふは僅かな土地を有つて居る貧民でありました。その他これに類する政治上の弊害は、革命の為に先づ破れた。然しながら黄金世界は来らずして、却て度々色々な困難を受けました。」
「日本もこれまでとは違つて、未曾有の政体が今年から成立ちますので、この政体に多くの望を嘱した人々は、立憲政体さへ成立てば非常に良い世界が来ると思ふでありませうが、私は然うは思ひません。然らば後来起るべき弊害は何かと云ふに貧富の間に一大戦争が起る。」
「欧米各国今日の問題は、貧富争闘の処分は如何になすべきか。何時にならばこの戦争が終るべきかである。欧羅巴が今日この問題に出会ふは、固より思ひかけざるものと思ひます。政治上の弊害が破れたならば、社会はずツと良くなるであらうと思つて居りました。これが一つ望み。今一つのは器械の発明である。器械の発明に依て、物が沢山に出来る、今まで苦み悩んで居た貧民も、肩が休まると思ひました。それは現在の欧羅巴人の考のみでなく、昔の欧羅巴人も矢張り然う思つた。希臘の昔時、東方から水車が来た。この水車に就て詩人アンチパトロスがかう謳うた。
『嗚呼労役者よ、粉車を廻す労役者よ。汝の手を休めよや。安眠して夜を過ごせよ。暁を告ぐる※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]声に気を止むるな。ジユピトルの命により、水神が汝の労苦を救ふを見よ。』
 現在の欧羅巴人もこの古代の詩人と同じ望を、器械の発明に嘱して居りました。普通人が器械の発明にかゝる望を嘱したばかりでなく、学者も器械が発明されるならば人間の苦は去らうと思ひましたが、実際皆な大に失望した。
 今一つある。前の社会には、うるさいことがありましても、例へば商売するにも免許を得なければならない。我国にも明治維新前には、商売上に特許があり、また才智あるものも、身分が良くなければ随意の仕事が出来なかつた。かゝることは道理に背くと言うて、学者政治家が攻撃した為に、所謂専売特許の制度は無くなりました。斯様に弊害ある制限も解けて、自由営業自由契約の世になつたらばと望を嘱して居りました。然るに今日迄の経験に依りますると、これも亦失望と言はねばなりません。
 政治の改良、器械の発明、経済上の特権撤去、三つ揃つたらば、人民安泰で何の不平も無からうかと思へば、然うで無い。この三つが揃つても、その後に劇しい戦争がある。資本家と労働者との間の戦争は、十層倍も劇しく、実に恐るべき戦争でござります。」
「かく考へれば、日本今後の運命に就て考を下すは必要なことゝ思ひます。或旅行家の記事中に『日本程下等人民に不平の顔色を見ない国は西洋に無い。』と言つたと聞きますが、これは決して過激な言葉でないと私は思ひます。凡そ富の額が多いのが良いに相違ないが、生産の道が充分に就て居ても分配の道が立つて居なければ必ず不平が起る。我国では富の額は未だ少いが、分つには平均に近づいて居る。西洋では富の額は多いが、分配に非常な懸隔がある。」
「我日本の有様を見るに、これまで総体に貧乏である。成程貧富の懸隔は無いではないが、これ迄の封建時代は、所謂国家社会主義のやうなもので、その上に例の支那流の経済家は兼併を禁じ、大地主大金持が出来るとその頭を叩き、或は諸侯が財産を取上げたり、棄損を
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