代。
一、三日夜、三菱の女婿加藤高明の市谷邸に、政友会総裁伊藤博文、憲政本党総理大隈重信の二頭会談。
一、翌四日、両党各々大会を開き、両首領の演説ありて、政府総攻撃の対議会策決定。
一、十二月十六日、衆議院予算委員会は、政府の財政案を否決すると同時に、直に、日程を変更して本会議に上程。将に決議に入らんとする時、五日間停会の詔勅。
一、停会また停会、二十八日遂に解散。
一、三十六年三月一日、選挙予定。
一、その一月七日、岩崎弥之助が、大磯の別荘へ、横浜の朝田某を呼んで、横浜から、加藤高明を選出することを指命した。
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従来横浜には商人派と地主派との二派があつて、島田先生の地盤は主として商人派の方に在り、朝田は商人派の巨頭なのだ。
一方横浜有力者達から、先生への候補辞退の勧告運動となり、渋沢栄一も、先生とは旧い個人的親交があるので、二度迄も番町邸に馬車を駆つて、候補辞退を熱心に勧告した。
一世の恐怖・島田三郎
僕は、先生が貴族富豪に嫌忌されるのを至当であると思つた。最近数年先生の社会的政治的の運動は、悉く貴族富豪の目には恐怖であつたに相違ない。試にその特に世の視聴を驚かした一二を挙げるならば
一、足尾鉱毒事件。
二、星亨事件。
三、社会党事件。
社会党に対する先生の境界は、先に既に言うたから、今、他の二件に就てその経過を語る。
(一) 足尾鉱毒事件と先生
三十四年の十一月、先生は田中正造翁と同伴で、渡良瀬川沿岸の鉱毒地を視察された。帰つて見えてのお話に、『驚いたのは、二三年前に見た村々が、殆ど跡方もなく零落して居る。この窮民は懶惰でもなく、天災でもなく、全く政治の罪悪の結果で、社会はこれが責任を負担せねばならぬ。特に寒天を眼前に控へた今日、食なき者に食を分ち、衣なき者に衣を分つは急務の人情である。従来の鉱毒問題と云ふものは、有志家の政治運動であつたが、これとは全く関係なく、同胞愛の発動として、婦人の手に信頼したい』
僕は熱心に賛成した。
『然らば何人の手に托したらば可いでせう』
当時、かゝる社会的方面に希望ある婦人と言へば、基督教婦人矯風会の外には何も無い。婦人矯風会と云ふものは、随分長い歴史を持つて居るものだが、年々公娼廃止及び禁酒の請願書を議会へ儀式の如く提出する外には、殆ど何もして居ない。僕はこの矯風会と云ふも
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