地にはアベコベに「此処日本人入るべからず」と云ふ立札をさへするやうになつた。
島田先生は最初からの条約励行主唱者であつた。条約改正の出来ないのは、外国人がかく事実上内地雑居の自由と利便とを享有しながら、日本の法律に服従しないと言ふ特権を持つて居るからだ。故に条約改正を速成する為めには、居留地制を励行して、現条約の不便を実感させねばならぬと云ふので、この事は既に二十二年の著作「条約改正論」に書いてある。
二十六年の衆議院に出た「現行条約励行建議案」にはかう書いてある。
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「衆議院は、政府が現行条約の実施上我帝国の権利を汚損する所あるを認む。故に衆議院は切に政府に望む、政府が条約の権利を明確にしてこれを励行せられんことを。敢て建議す。」
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先生もこの建議案賛成の一人だ。然れ共この一つの建議案の内容には黒白氷炭相容れざる思想と感情とが流れて居る。
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一、内地雑居主義の自由派――島田先生等。
一、非内地雑居主義の国権派即ち攘夷派。
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現にこの建議案の説明者たる阿[#「阿」に「ママ」の注記]部井と云ふ老人は、「非内地雑居」を唯一の主張とする大日本協会の領袖だ。
政府の圧迫に勝つ
この時は第二次伊藤博文内閣で、陸奥宗光が外務大臣であつた。陸奥はこの励行案を鎖国論だと言うて攻撃し、これが為めに議会は解散となつた。次の選挙の第一目標は無論条約励行論だ。政府の手は先生の選挙区へも潜入した。政府の目から見たらば、横浜と云ふ日本の玄関に条約励行論者が居ると云ふことは、非常な障碍であつたに相違ない。その事は二十七年二月二十五日、立候補演説の速記の中に見える。先生は冒頭にかう言うて居る。
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「今回、木村利右衛門君と私との競争に就て、その争点を申す必要があると考へます。木村君よりの申込に対し本月八日某々二君に面会致しました。その趣意は、『足下の人となりに就ては不同意はないが、二つの条件がある。その一つは監獄費国庫支弁案に賛成して呉れい。今一つは条約励行案の賛成を取消して貰ひたい。この二件は横浜市の利益であるから、さうすれば競争しない』と、かう云ふことでござりました。私は『左様なる条件を付けたる約束は一切出来ない。と云ふものは、私の心を欺いて可い
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