し物は寺子屋と勧進帳。
一、五月一日、かくて井上外務大臣は、各国全権公使を招いて、愈々正式に条約改正会議を開いた。
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忽然として旋風が捲き起つた。改正条約案の中、外人関係の訴訟には外人法官を加へて法廷を組織する云々の事が英字新聞に掲載された。国家独立権の侮辱、民間の物論紛々囂々。
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一、六月廿三日、農商務大臣谷干城、欧洲視察の旅行を了へて帰る。彼は明治十年熊本籠城の名将、国権主義の雄者。井上外相の条約案に反対意見書を提出す。
一、七月廿六日、谷農相、依頼免官。
一、同廿九日、条約改正会議無期中止。
一、八月一日、志士の大群、市谷なる谷干城邸を囲んで、名誉表彰。
一、九月十七日、井上馨外務大臣を辞め伊藤博文外相兼任。
一、十月三日、投機的老政治家後藤象次郎、民間政客を芝三縁亭に饗応して、政府反対運動に着手。
一、十一月十五日、浅草鴎遊館に全国有志大懇親会を開く、後藤参会。
一、十二月廿五日、保安条例施行、民間政客五百七十人を東京三里以外に放逐。中島信行、片岡謙吉、中江篤介、尾崎行雄等知名者、逐客の中に在り。
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条約改正問題の禍乱
先生の「開国始末」は、十二月に脱稿し、翌二十一年三月出版。同時に先生は予定の如く欧米漫遊の途に上られたが二十二年八月帰朝の際、日本は再び条約改正問題の為め鼎沸の如き禍乱の最中であつた。
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一、二十一年二月一日、大隈重信外務大臣就任。
一、二十二年二月十一日、憲法発布。
一、四月、大隈外相の条約改正案、例に依てロンドンタイムス紙上に現はれ、外人法官問題に対し、異論再び官民の間に起る。
一、八月十八日、江東中村楼に条約反対者大懇親会を開く。
一、九月廿五日より三日間、改進党の条約賛成大演説会。
一、十月七日、帝国大学教授等条約改正案反対の意見書提出。
一、同十一日、枢密院議長伊藤博文辞表を上る。
一、十五日、御前会議。
一、十八日、大隈外相重傷、一脚を失ふ。
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かく打ち続き二度までも条約改正問題で勝利を味つた「保守」的精神は、今や「国権」「国粋」など云ふ大旗幟を飜へして堂々と進出して来た。
変装した攘夷論
大隈の条約問題の時、井上哲次郎と云ふ大学の哲学教授が、独逸の留学
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