第四巻予告の小さな印刷物が出て来た。僕が署名して居る。
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「攘夷主義は、幕府の末黒船始めて来航した時のみの迷信ではない。時代と共に少しく言語を変へただけで、其精神は少しも変らずに今日我国民の血管を滝津瀬の如く音立てゝ流れ狂つて居る。攘夷思想は民族神的信仰の産児である。故に第一に宗教問題である、道徳問題である。斯くて内治外政一切の問題である。学者思想家政治家達が、皆な此の氷山の如き伝統的圧力の前に萎縮逡巡忌避諂佞、其の暴威に触れないやうにと努めた時、島田先生は常に其の独自中正の脚地に立ちて、堅信博学、機に会ひ事に遇ふ毎に此の固陋の民心を啓発することを怠りなさらなかつた。明治二十二年条約改正騒擾の際に於ける「条約改正及び内地雑居」、日清戦後我が国民が悪魔の如くに露国を憎む際に於ける「日本と露西亜」、日本が始めて内地雑居の幕を開く時、僧侶神官等が無智の民衆の恐怖心に投合して妄言誣説を流布せる際の「対外思想の変遷」、是等時代に先だちて、国民の進路と目標とを指示せる著作文章は、真に先生の為に不朽の自画像であると共に、今日、此の昏迷の社会の為に、自省と悔悟とを促がすべき、清鮮な大説教である。」
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大正十三年のことだ、僕は書いたことさへ覚えて居ないが読んで見ると僕の文章に相違ない。この不用意に書き捨てた十年前の駄文の中に、先生に対する僕の讃歎と評論とは尽きて居るやうな気がする。
考へて見ると、明治二十年、先生が一時世上の交渉を絶つて、閑窓の下に「開国始末」の著作に没頭された時、攘夷論の犠牲となつて桜田門外の雪と消えた井伊大老の為に、雪寃の史筆を揮つて居られた時は、維新以来久しく窒息状態に潜伏して居た攘夷的感情が、機運一転して擡頭の時節接近した時であつたらしい。「国会開設」「条約改正」の二大要求は、今や政府の一手に収められて、民間の政客志士は、疲労と無事に苦んで居た。総理大臣伊藤博文は憲法起草中。外務大臣井上馨は条約改正の準備。天下泰平謳歌の春。
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一、四月二十日、伊藤首相の主催で、日比谷の鹿鳴館に内外紳士貴婦人の仮装舞踏会。
一、同じく二十七日から三日に渉り、麻布鳥居坂の井上外相邸で、初日は天皇、二日目は皇后、三日目は皇太后、三陛下の臨幸を仰いで演劇天覧。俳優は団十郎、菊五郎、左団次等、出
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