幸徳秋水と僕
――反逆児の悩みを語る――
木下尚江
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)呉《くれ》た
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「さんずい+闊」、第4水準2−79−45]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)捜し/\して
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
君よ。明治三十四年、僕が始めて社会党の創立に関係した時、安部磯雄、片山潜の二君は、年齢においても学識においても、長者として尊敬して居たが、親密な友情を有つて居たのは、幸徳秋水であつた。彼は僕より二つ年下であつた。幸徳を友人にしてくれたのは石川半山だ。
僕がまだ二十代で、故郷で弁護士をして居た時、石川は土地の新聞主筆として招かれて来た。彼が好んで自分の師友の評判をする時、「幸徳秋水」の名前を頻りと吹聴した。
石川が始めて故郷岡山を出て東京へ遊学の折、当時東洋のルソーと謳はれて居た中江兆民を、大阪に訪問した。その兆民先生のムサくるしい玄関で、彼は始めて幸徳を見た。幸徳はなた[#「なた」に傍点]豆煙管をたゝいて、時勢を論じたさうだ。明治二十年の冬、保安条例で兆民が東京を逐はれた時、当時十七歳の幸徳も、師匠に同伴して大阪へ行つたものと思はれる。
『兆民門下の麒麟児だよ』
と、石川は盛んに幸徳を推称した。
僕が東京へ出て「毎日新聞」へ入社したのは、石川のお蔭であつた。
二
三十二年の春、僕が上京後間も無い頃、或朝石川の下宿で話して居ると、襖の外に、
『石川――』
と、やさしく呼ぶ声がした。
『はいれ』
と、石川が大きな声でいふと、スウと襖が開いた。
見ると、色は小黒いが眉目の秀麗な、小柄な若い男が立つて居る。僕を見て、躊躇して居る様子、
『はいれ』
と石川が又呼んだ。
『可いか――』
というたその口元に、妙に処女のやうな羞恥がもれた。
これが幸徳であつた。彼は文章と識見とで、当時既に「万朝報」紙上の名華であつた。
僕に幸徳の事を口を極めて称讃した如く、石川は、僕の事をも幸徳に、輪に輪をかけて話して置いたものらしい。初対面ながら、古馴染のやうな気がしてすつかり打ち解けて語ることが出来た。
時は日清戦争の後、支那の償金がはいつて、事業熱の勃興と共に、始めて日本に「労働問題」といふ熟語が伝はり、職工の間に組合組織が競ひ起る一方、学者思想家の間には、「社会問題」が盛んに論議される新時代であつた。
僕の入社した「毎日新聞」でも、社長の島田三郎先生が、去年の暮、旧い関係の政党を脱退して自由独立の身となり、言論文章で新機運を呼び起こさうといふ意気溌剌の折柄で、「青年」「労働者」「婦人」これが先生の三要目で、現に「青年革進会」の会長であり、たしか活版工組合の会長でもあつたやうに記憶する。
その頃、芝園橋側のユリテリヤン協会といふは、仏教、耶蘇教の自由家若くは脱走家の団体で、会長の佐治実然といふはもと本願寺派の才人、村井知至、安部磯雄などいふは、組合教会の秀才であつた。この協会の中にまた「社会主義研究会」といふのが出来て、これには協会外の人も加入して居た。幸徳もその会員の一人で、僕にも入会を勧めたが、僕は「研究会」といふやうなものは嫌ひだというて、拒絶したことを覚えて居る。
三
安部君とは、妙な所で知合ひになつた。
明治三十二年の暮だと思ふ。埼玉の県会が公娼設置の建議案を通過した。畢竟遊廓新設地の地価をあげて腹を肥やさうといふ魂胆だが、表面の理由は、日本鉄道会社大宮工場の如き、職工労働者の巣窟のために、風教衛生上、公娼設置の急務があるといふのだ。
これを聞いた大宮工場の労働組合が、憤起して反対運動の声を挙げた。島田先生も応援演説に行かれるので、僕にも同行を勧められた。その朝、大雪の降る中を上野停車場へ行つた。先生と立ちながら話して居る人を見ると、中肉中背、黒の外套に中折帽子、赭ら顔に鳩のやうな柔和な目、如何にも清高の感じのする年少紳士だ。これが早稲田の新教授安部磯雄君であつた。安部君も矢張り大宮へ行くのだ。
大宮では、かねて会場に借りて置いた劇場が、公娼派の圧迫で急に断つて来た。寺を借りようとしても、貸して呉れない。やむを得ず、長屋建ての狭い「労働倶楽部」を臨時の演説場。庭前を板で囲つて露天の傍聴席だ。
物々しき警察の警戒――屋内へまで大きな雪が舞ひ込む。聴衆は真つ白になつて、吹雪の中に立つて居た。
この一挙で公娼案は全滅した。
当時、砲兵工廠と大宮工場とは、労働運動の中心で、片山潜、高野房太郎などいふ指導者の名は、官署や会
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