佐野だより
木下尚江
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)驅《か》る
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(例)[#地から3字上げ]
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[#地から3字上げ](二月十五日夜發)
昨夕俄かに「足尾鑛毒問題」解釋の重任を負ひぬ、工業國たるべき日本に於て斯かる疑問の何時までも氷解せざるを見て、余はかねてより我が國運の障碍と思ひければ、敢へて之を承諾したりしなり、
兎に角先づ今回の被害地人民出京紛擾の情况を一瞥せばやと思ひければ、吹上停車場より腕車を舘林に驅《か》ることゝはなしぬ、タマに出る子は風に逢ふとかや、我が指して行く日光、足尾の雪山颪は土沙を捲きて壯丁二個も挽きぞワズろふばかりなり、顧れば淺間の山は雪の白衣を被りて蒼黒なる上州群峯の上に半腹以上を現はしつ、飛びかふ雲に見へつ隱れつするイト面白ろし、
利根の舟橋打ち渡ればコヽなん被害地人民と憲兵巡査との間に開かれたる最近の古戰場なり、抑も彼等被害人民が今回の上京騷ぎは昨秋來の計畫にして、新年に入りて漸く熟し二月となりては形勢次第に切迫し遂に去十二日の夜、渡瀬《わたらせ》沿岸なる早川田《さかはた》の雲龍寺に撞き鳴らす警鐘を合圖に簔笠、糧を包みて集會せるもの二百、三百忽にして五百、警官の制止を峻拒して舘林の町を打ち過ぎ利根の渡に押し寄せたる者二千五百と注せられぬ、川舟二艘を大八車に打ち載せ舟の前に斜めに切りたる青竹數竿を鉾の如くに裝ひたるを挽き、同勢之に從ひ、野州安蘇郡界村の助役野口春藏と言へるは筒袖に韮山笠を戴き南無阿彌陀佛と書きたる白旗採つて馬上に指揮せり、若し警官の之を制止せんとするに逢へば、かの竹鉾を裝置せる舟車を以て突貫して進みたり、
之を防がんとて利根の川邊に集りたるは憲兵二十警官二百五十餘名、埼玉あたりより應援せるも少なからず、今は止むを得ず捕縛すべしとの一令を發して打ち向ふと共に群集は遂に解散せり、捕縛せられたる者二十四名、負傷したるは彼方にも此方にもありしと云ふ、
さて此の擧にあづかれる被害地人民とは上州に在りては邑樂《おうら》郡の多々良、渡瀬、大島、西谷田、海老瀬、郷谷《さとや》、大毛野の諸村、野州に在りては足利郡の毛野、吾妻、久野、安蘇《あそ》郡の植野、犬伏、界、高山、下都賀郡の谷中の諸村、又た埼玉縣下にては北埼玉郡なる利島、川邊の諸村なりとぞ、
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