方にお定《き》めなさいよ、私《わたし》、松島さん大好きだわ、海軍大佐ですつてネ、今度|露西亜《ロシヤ》と戦争すれば、直《す》ぐ少将におなりなさるんですと――ほんたうに軍人は好《い》いわ、活溌《くわつぱつ》で、其れに陸軍よりも海軍の方が好くてよ、第一|奇麗《きれい》ですものネ、其れでネ、姉さん、昨夜《ゆうべ》も阿父《おとつさん》と阿母《おつかさん》と話して在《いら》しつたんですよ、早く其様《さう》決《き》めて松島様の方へ挨拶《あいさつ》しなければ、此方《こちら》も困まるし、大洞《おほほら》の伯父さんも仲に立つて困まるからつて」
「芳ちやんは軍人がお好きねエ」
「ぢや、姉さんは、あの吉野とか云ふ法学士の方が好いのですか、驚いたこと、彼様《あんな》ニヤけた、頭ばかり下げて、意気地《いくじ》の無い」
「左様《さう》ぢや無いの、芳ちやん」と、姉は静に妹を制しつ
「私《わたし》はネ、誰の御嫁にもならないの」
妹は眼を円くして打ち仰ぎぬ「――ほんたう」
一の二
折柄門の方《かた》に響く足音に、姉の梅子は振り返へりつ、
「長谷川牧師が光来《いら》しつてよ」
色こそ褪《あ》せたれ黒のフロックコート端然と着なしたる、四十|恰好《かつこう》の浅黒き紳士は莞爾《くわんじ》として此方《こなた》に近《ちかづ》き来《きた》る、是《こ》れ交際家として牧師社会に其名を知られたる、永阪教会の長谷川|某《なにがし》なり、
妹の芳子は頬《ほほ》膨《ふく》らし、
「厭《いや》な奴ツ」とツブやくを、梅子は「あら」と小声に制しつ、
牧師は額の汗|拭《ぬぐ》ひも敢《あ》へず、
「これは/\、御揃《おそろ》ひで御散歩で在《い》らつしやいまするか、オヽ、『黒』さんも御一緒ですか」と、芝生に横臥《わうぐわ》せる黒犬にまで丁重に敬礼す、是れなん其仁《そのじん》、獣類にまで及べるもの乎《か》、
「エヽ、本日《けふ》罷《まか》り出でまする様《やう》と、御父上から態々《わざ/\》のお使に預りまして」と、牧師は梅子の前に腰打ち屈《かが》めつ「甚《はなは》だ遅刻致しまして御座りまするが、御在宅で在《い》らせられまするか」
妹嬢《いもとむすめ》は黙つて何処《いづこ》へか去《い》つて仕舞ひぬ、
「御光来《おいで》を願ひましたさうで御座いまして、誠に恐れ入りました」と、梅子の言ふを、
「イエ、なに、態々《わざ/\》と申すでは御座りませぬ、外《ほか》に此の方面へ参る所用も御座りまする、其れに久しく御父上には拝顔を得ませんで御座りまするから」
牧師は身を反《そら》らしてニヤ/\と笑ひぬ、
梅子に導かれて牧師は壮麗なる洋風の応接室に入《い》りぬ、
待つ間|稍々《やゝ》久しくして主人《あるじ》は扉を排して出で来りぬ、でつぷり肥《ふと》りたる五十前後の頑丈造《ぐわんぢやうづく》り、牧師が椅子《いす》を離れての慇懃《いんぎん》なる挨拶《あいさつ》を、軽《かろ》くも顋《あご》に受け流しつ、正面の大椅子にドツかとばかり身を投げたり、
「御来宅《おいで》を願つて甚《はなは》だ勝手過ぎたが、少《す》こし御注意せねばならぬことがあるので」と、葉巻莨《はまきたばこ》の烟《けむり》多《ふと》く棚引《たなび》かせて
「他《ほか》でも無い、例の篠田長二《しのだちやうじ》のことであるが、近頃何か頻《しき》りに非戦論など書き立てて居《を》るさうだ、勿論《もちろん》彼奴等《きやつら》の『同胞新聞』など言ふものは、我輩などの目には新聞とは思へないので、何《どう》せ狂気染みた壮士の空論、元より歯牙《しが》に掛ける必要もないのだが、然《し》かし此頃娘共の話《はなし》して居た所を聞くと、近来教会に於《おい》ても、耶蘇《ヤソ》教徒は戦争に反対せにやならぬなど、無法なことを演説すると云ふことだが、」
牧師は恐る/\口を開き「さ、其件に就きましては私《わたくし》も一方ならず、心痛致し居りまするので」と弁せんとするを、剛造は莨《たばこ》の灰もろ共に払ひ落としつ「其《それ》に梅子などは何《どう》やら其の僻論《へきろん》に感染して居るらしいので、大《おほい》に其の不心得を叱つたことだ、特《こと》に近頃|彼女《あれ》の結婚に就《つい》て相談最中のであるから、万一にも社会党等の妄論《ばうろん》などに誤られる様なことがあらば、其れこそ彼女ばかりでは無い、山木一家《やまきいつけ》に取つて由々しき大事なのである、で、今日君を御呼び立て致したのは、社会党を矢張り教会に入れて置かるゝ御心得か如何《どうか》を承つて、其上で子女等《こどもら》を教会へお預けして置くか如何を決定したいと思ふのである」
牧師は俯《ふ》して沈黙す、
剛造はジロリ其を見やりつ「苟《いやしく》も山木の家族が名を出して居る教会に、社会党だの、無政府党だのと云ふバ
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