》つて来る様になれば〆《し》めたものだ、虚無党でも社会党でも其の恐ろしいのは、中心に婦人が居るからだ、日本でもポツ/\其の機運が見えて来た」
「婦人と云へば、篠田君」と行徳は体《たい》を転じて「僕はネ、君が永阪教会を放逐されたと聞いて、ホツと安心したのだ」
 菱川は大きなる鼻に皺《しわ》よせて笑ひつ「無神無霊魂の仲間が一人殖えたと云ふわけか」
 一座|復《ふたゝ》び哄笑《こうせう》、
 行徳も、微笑を洩《も》らしつ「君等は直ぐ左様《さう》云ふからこまる――今迄篠田君の身辺《まはり》には一抹《いちまつ》の妖雲《えううん》が懸《かゝ》つて居たのだ、篠田君自身は無論知らなかつたであらうが――現に何時《いつ》であつたか、労働協会の松本君の如きも、篠田君は山木剛造の総領娘と結婚するさうぢやないか、怪《け》しからんことだと云ふから、君達は未《ま》だ其れ程までに篠田君が解からないのかと冷笑《ひやか》してやつたのだ」
 一座の視線、篠田の面上に注がれたり、
「ハア、左様《さう》いふことがあるんですかなア」と篠田は首を傾けぬ、
「なアに」と菱川は口を開きつ「婦人《をんな》なんてものは、極《ご》く思想の浅薄で、感情の脆弱《ぜいじやく》なものだからナ、少こし気概でもあつて、貧乏して居る独身者でも見ると、直《ぢ》きに同情を寄せるんだ、実にクダらんものだからナ」
「では、菱川君の如きは、差向き天下第一の色男と云ふ寸法のだネ」と行徳は槍を入れぬ、
「ハヽヽハヽヽヽ」と流石《さすが》の菱川も頭を掻《か》けり、
「然《し》かし、篠田君、山木の梅子と言ふのはナカ/\の関秀《けいしう》ださうだネ」と談話の新緒《しんちよ》を開きしは家庭新誌の主幹阪井俊雄なり「文章などナカ/\立派なものだ」
「左様《さやう》、余程意思の強い女性《ひと》らしいです――何でも亡母《おつかさん》が偉かつたと云ふことだから」と篠田は言ふ、
「では母の遺伝だナ、山木の様な奴には不思議だと思つたのだ」
「否《い》や、左様《さう》ばかりも言へないでせう、現に高等学校に居る剛一と云ふ長男《むすこ》の如きも、数々《しば/\》拙宅《うち》へ参りますが、実に有望の好青年です、父親《おや》の不義に慚愧《ざんき》する反撥力《はんぱつりよく》が非常に熾《さかん》で、自己の職分と父の贖罪《しよくざい》と二重の義務を負《お》んでるのだからと懺悔《ざんげ》して居る程です、思ふに我々の播《ま》ける種子《たね》を培《つちか》ふものは、彼等の手でせうよ」
「サウ、赤門《あかもん》にせよ、早稲田《わせだ》にせよ、一生懸命社会主義を拒絶して居るに拘《かゝは》らず、講堂の内面では却《かへつ》て盛に其の卵が孵化《ふくわ》されて居るんだから、実に多望なる我々の将来ぢやないか」と渡部は豊かなる頬に笑波《せうは》を湛《たゝ》へぬ、
「ヤ、君、最早《もう》一時だ」と阪井は時計を手にしながら「是《こ》れから淀橋《よどばし》まで歩るくのか」
「けれ共、君、幸《さいはひ》に雨は止んだ」
「オヽ、星が照らして居るわ、我々の前途を」   

     八の一

 築地《つきぢ》二丁目の待合「浪の家」の帳場には、女将《ぢよしやう》お才の大丸髷《おほまるまげ》、頭上に爛《きら》めく電燈目掛けて煙草《たばこ》一と吹き、長《とこしな》へに嘯《うそぶ》きつゝ「議会の解散、戦争の取沙汰《とりざた》、此の歳暮《くれ》をマア何《ど》うしろツて言ふんだねエ」
 折柄バタ/\走《は》せ来れる女中のお仲「松島さんがネ、花吉さんが遅いので、又たお株の大じれ込《こみ》デ、大洞《おほほら》さんがネ、女将《おかみ》さんに一寸来て何とかして貰ひたいツて仰《おつ》しやるんですよ」
 お才は美しき眉《まゆ》の根ピクリ顰《ひそ》めつ「チヨツ、松島の海軍だつて言はぬばかりの面《つら》して、ほんとに気障《きざ》な奴サ――其れに又た花ちやんも何《ど》うしたんだネ」
「いゝえネ、湖月の送別会とかへ行つてるので、未《ま》だ貰へないんですもの」
「しやうが無いネ、今夜あたり其様《そんな》所へ行かなくツても可《い》いぢやないか」
「オホヽヽヽだつて女将《おかみ》さん、其れも芸妓《げいしや》の稼業ですもの」
 お才も嫣然《にこり》歯を見せつ「だがネ、彼妓《あのこ》の剛情にも因つて仕舞《しま》ふのねエ、口の酸つぱくなる程言つて聞かせるに、松島さんの妾など真平《まつぴら》御免テ逃げツちまふんだもの」
「そりや女将さん、仮令《たとへ》芸妓だからつて可哀さうですよ、当時流行の花吉でせう、それに菊三郎と云ふ花形|俳優《やくしや》が有るんですもの、松島さん見たいな頓栗眼《どんぐりまなこ》の酒喰《さけぐらひ》は、私にしても厭《いや》でさアね」
「だツて、妾にならうが、奥様にならうが、俳優買《やくしやか》ひ位のこと
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