ア勝手に出来るぢやないか」
「其《さ》う言やマア、さうですがね、しかし能《よ》くまア、軍人などで芸妓《げいしや》を落籍《ひか》せるの、妾にするのツて、お金があつたもンですねエ」
お才は煙管《きせる》ポンと叩《たゝ》いて、フヽンと冷笑《わら》ひつ「皆ンな大洞さんの賄賂《わいろ》だアネ――あれでも、まア、大事なお客様だ、日本一の松島さんてなこと言つで、お煽《だて》てお置きよ、馬鹿馬鹿しい」
* * *
奥の二階の一室に対座せる二客、軍服の上へムク/\する如き糸織の大温袍《おほどてら》フハリ被《かぶ》りて、がぶり/\と麦酒《ビール》傾け居るは当時実権的海軍大臣と新聞に謡《うた》はるゝ松島大佐、対《むか》ひ合へる白髪頭《しらがあたま》の肥満漢《ふとつちよう》は東亜※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》会社の社長、五本の指に折らるゝ日本の紳商大洞利八、
大洞は満面に笑の波を漲《みなぎ》らしつ「で、松島さん、私共《わたくしども》は此際ですから、決して特別の御取扱を御願致す次第では御《ご》わせん、只《た》だ郵船会社同様に願ひたいので――本来を申せば郵船会社の如き、平生《へいぜい》莫大の保護金を得て配当を多くして居ると云ふのも、一朝事ある時の為めでは御《ご》わせんか、然《しか》るに此の露西亜との戦争と云ふ時に及《およん》で、私共の船は一噸《いつトン》三円五十銭平均で御取上げ、郵船会社の方が却《かへつ》て四円|乃至《ないし》四円五十銭と申すのは、余りに公平を欠きまする様で――第一に国家の公益で無い様に思ひまするので」
「国家の公益? ハヽヽヽ其れは大洞、君等の言ふべき口上ぢや無からう、兎《と》に角《かく》一旦《いつたん》取り定《さだ》めたものを、サウ容易《たやす》く変更することもならんからナ」
「併《し》かし、松島さん、万事|貴下《あなた》の方寸に在《あ》ることでは御わせんか」
「仮令《たとひ》方寸に在らうが、国家の公事ぢや、君等は一家の私事さへもグツ/\して居るぢや無いか」
大洞の聊《いささ》か解《げ》し兼ぬると言ひたげなる面《おもて》を松島はギロリ、一瞥《いちべつ》しつ「一体、君は山木の娘の一件を何《ど》うするんだ、山木に直接に言ふのは雑作《ざふさ》もないが、兎《と》に角《かく》妻にするものを、其れも余り軽蔑《けいべつ》した仕方と思つたからこそ、君を媒酌人《ばいしやくにん》と云ふことに頼んだのだ、最早《もう》彼此《かれこれ》、半歳《はんとし》にもなるぞ、同僚などから何時式を挙げると聞かれるので、其の都度《つど》、実に軍人の態面《たいめん》に泥を塗られる様に感ずるわイ、人を馬鹿にするも程があるぞ」
「イヤ、もう、其事に就《つ》きましては絶えず心配して居りますので、――何分当人が、少こし変物《かはりもの》と来て居りますので――」
「馬鹿言へ、高が一人の婦人《をんな》ぢやないか、其様《そんな》ことで親の権力が何処《どこ》に在《あ》る――それに大洞、吾輩は今日、実に怪《け》しからんことを耳に入れたぞ」満々たる大盃《だいコップ》取り上げて、グウーツとばかり傾けたり、
八の二
「はア」と、訝《いぶ》かる大洞《おほほら》の面上|目懸《めが》けて松島は酒気吹きかけつ「君、山木は彼《あ》の同胞新聞とか云ふ木葉《こつぱ》新聞の篠田ツて奴に、娘を呉れて遣る内約があるンださうぢやないか、失敬ナ、篠田――彼奴《あいつ》、社会党ぢやないか、国賊と縁組みして此の海軍々人の面《かほ》に泥を塗る量見か、――此方《こつち》にも其覚悟があるんだ」
大洞は始めて安心したるものの如く、両手に頭撫で廻はしつゝカンラ/\と大笑せり、
「何が可笑《をか》しいツ」盃《コップ》取りなほして松島は打ちも掛からんずる勢、
「戯謔《じやうだん》仰つしやツちや、因まりますゼ、松島さん、貴下《あなた》、其様《そんな》馬鹿気たこと、何処から聞いておいでになりました」
「今日も省内《やくしよ》の若漢《わかもの》等が、雑談中に切《しき》りと其事を言ひ囃《はや》して居つた」
「ハヽヽヽイヤ何《ど》うも驚きました、成程、さすが明智の松島大佐も、恋故なれば心も闇《やみ》と云ふ次第《わけ》で御《ご》わすかな、松島さん、シツカリ御頼《おたのみ》申しますよ、相手が兎《と》に角《かく》露西亜《ロシヤ》ですゼ、日清戦争とは少こし呼吸が違ひますゼ」
大洞は小盃《ちよく》を松島に差しつ「私《わし》も篠田と云ふ奴を二三度見たことがありますが、顔色容体|全然《まるで》壮士ぢや御《お》ワせんか、仮令《たとひ》山木の娘が物数寄《ものずき》でも、彼様男《あんなもの》へ嫁《ゆか》うとは言ひませんよ、よし、娘が嫁うとした所で松島さん、山木も未《ま》だ社会党を婿《む
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