に柔和《にうわ》に、主《しゆ》の栄光を顕《あわ》はすことです――私の名が永阪教会の名簿に在《あ》ると無いとは、神の台前に出ることに何の関係もないことです、教会の皆様を思ふ私の愛情は、毫《すこし》も変はることが出来ないです、老女《おば》さんは何時《いつ》迄《まで》も老女さんです」
老女は何時しか頭《かしら》を垂れて膝《ひざ》には熱き涙の雨の如く降りぬ、
良《やゝ》久《ひさし》くして老女は面《おもて》押し拭《ぬぐ》ひつ、涙に赤らめる眸《ひとみ》を上げて篠田を視上げ視下ろせり「どしたら、貴郎《あなた》のやうな柔和《やさし》いお心を持つことが出来ませう――其れに就《つ》けても理も非もなく山木さんの言ふなり放題になさる、牧師さんや執事さん方の御心が、余り情ないと思ひますよ――私見たいな無学文盲には六《むづ》ヶ|敷《しい》事は少しも解りませぬけれど、あの山木さんなど、何年にも教会へ御出席《おいで》なされたことのあるぢや無し、それに貴郎、酒はめしあがる、芸妓買《げいしやがひ》はなさる、昨年あたりは慥《たし》か妾を囲《かこ》つてあると云ふ噂《うはさ》さへ高かつた程です、只《た》だ当時|黄金《かね》がおありなさると云ふばかりで、彼様《あんな》汚《けが》れた男に、此の名高い教会を自由にされるとは何と云ふ怨《うら》めしいことでせう」
老女は又も面《おもて》を掩《おほ》うてサメザメと泣きぬ、
老女は鼻打ちかみつ、「けども先生、山木さんも昔日《むかし》から彼様《あんな》では無かつたので御座いますよ、全く今の奥様が悪いのです、――私《わたし》は毎度《いつも》日曜日に、あの洋琴《オルガン》の前へ御座りなさる梅子さんを見ますと、お亡《なくなり》なさつた前の奥様を思ひ出しますよ、あれはゼームスさんて宣教師さんの寄進なされた洋琴で、梅子さんの阿母《おつか》さんの雪子さんとおつしやつた方が、それをお弾《ひ》きなすつたのです、丁度《ちやうど》今の梅子さんと同じ御年頃で、日曜日にはキツと御夫婦で教会へ行らつしやいましてネ、山木さんも熱心にお働きなすつたものですよ、――拍子《ひやうし》の悪いことには梅子さんの三歳《みつ》の時に奥様がお亡《なくなり》になる、それから今の奥様をお貰ひになつたのですが、貴様《あなた》、梅子さんも今の奥様には随分|酷《ひど》い目にお逢ひなさいましたよ、ほんたうに前の奥様はナカ/\雄《えら》い、好い方で御座いました、御容姿《ごきりやう》もスツキリとした美くしいお方で――梅子さんが御容姿と云ひ、御気質と云ひ、阿母さんソツクリで在《いら》つしやいますの、阿母さんの方が気持ち身丈《せい》が低くて在《い》らしつたやうに思ひますがネ――」
老女の心は、端《はし》なくも二十年の昔日《むかし》に返へりて、ひたすら懐旧の春にあこがれつゝ、
「先生、其頃まで山木|様《さん》は大蔵省に御勤めで御座いましてネ、何でも余程幅が利《き》いて在《い》らしつたらしかつたのです、スルと、あれはかうツと――左様《さう》/\十四年の暮で御座いましたよ、政府《おかみ》に何か騒が御座いましてネ、今の大隈様《おほくまさん》だの、島田様だのつてエライ方々が、皆ンな揃《そろつ》て御退《おさが》りになりましてネ、其時山木様も一所に役を御免《おやめ》になつたのです、今まで何百ツて云ふ貴《よ》い月給を頂いて居らつしやいましたのが、急に一文なしにおなりなすつたのですから、ほんとに御気の毒の様で御座いましたがネ、奥様が、貴郎《あなた》、厳乎《しつかり》して、丈夫《をとこ》に意見を貫《とほ》させる為めには、仮令《たとへ》乞食になるとも厭《いと》はぬと言ふ御覚悟でせう、面《かほ》は花の様に御美しう御座いましたが、心の雄々しく在《い》らしつたことは兎《と》ても男だつて及びませんでしたよ、山木さんの辞職なされたのも、つまり奥様の御勧《おすゝめ》だと其頃一般の評判でしたの、――其れから奥様は学校の教師《せんせい》をなさる、山木様は新聞を御書きになつたり、演説をして御歩きになつたりして、奥様はコンな幸福は無いツて喜んで在らつしやいましたが、感冒《おかぜ》の一寸こじれたのが基《もと》で敢《あへ》ない御最後でせう――私は尋常《ひとかた》ならぬ御恩《おめぐみ》に預つたもんですから、おしまひ迄御介抱申し上げましたがネ、先生、其の御臨終の御立派でしたこと、四十何度とか云ふ高熱で、普通の人ならば夢中になつて仕舞ふ所ですよ、――山木様の御手を御握《おにぎり》になりましてネ、何卒《どうぞ》日本の政道の上に基督《キリスト》の御栄光《おんさかえ》を顕《あら》はして下ださる様、必ず神様への節操《みさを》をお忘れなさるなと仰《お》つしやいましたが、山木様が決して忘れないから安心せよと御挨拶《ごあいさつ》なさいますとネ、奥様は世
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