》びつ「其れから皆《みん》なして遺骸《おからだ》を、御宅へ担《かつ》いで参《めえ》りましたが、――御大病の御新造様《ごしんぞさま》が態々《わざ/\》玄関まで御出掛けなされて、御丁寧な御挨拶《ごあいさつ》、すると旦那、貴郎《あなたさま》だ、其時|丁度《ちやうど》十二三の坊様が、長い刀を持ち出しなされて、父《とつ》ちやんの復讐《かたきうち》に行くと言ひなさる、其れを今の粟野《あはの》に御座る伯母御様が緊乎《しつかり》抱き留めておすかしなさる――イヤもう、皆な御庭に座つて泣きましたよ」
老人は声曇らせて月影に面《おもて》を背向《そむ》けぬ、
「御老人」と篠田もソゾろ懐旧の感に打《うた》れやしけん、
袂《たもと》より取り出せる襤褸《ぼろ》もて老人は鼻打ちかみ「其れから間もなく御新造様は御亡《おなく》なり、貴郎《あなたさま》は伯母御様に手を引かれなさつて、粟野の奥へ行かしやる、――何でも長左衛門様の讐討《かたきう》たんぢやならねエと言ふんで、伯母御様の所から逃げ出しなすつて、外国迄も行つて修業なすつて、偉《えら》い人《かた》にならしやつたと云ふことは薄々聞いて居《をり》ましたが、――どうも思ひ掛けねエ所で御目に掛りまして、昔時《むかし》のことがアリ/\と目に見えるやうで御座りやす」
「御老人、貴所《あなた》の様に、長い目で御覧になりましたならば、世の変遷《うつりかはり》が能《よ》く御見えになりませうが、偖《さ》て自分一身を顧みますと、実にお耻かしい次第でありましてナ、亡《な》き父などに対しても、誠に面目御座いません」
「いや/\、左様《さう》で無《ね》い、何でも偉《えれ》い人《かた》に成らしやつたと云ふ取《と》り沙汰《さた》で御座りまする」と、老人は首打ち振り「が、先且那様《せんだんなさま》も偉い方で御座りましたよ、二十年前に心配しなすつた通りに、今は成り果てて仕舞ひました、何だ角《か》だと取られる税《もの》は多くなる、積《と》れる作物《もの》に変りは無い、其れで山へも入ることがならねい、草も迂濶《うつかり》苅《か》ることがならねい、小児《こども》は学校へ遣《や》らにやならねい、借金《かり》が出来る、田地は段々に他《ひと》の物になる、旦那今ま此の山中《やま》で、自分の田を作つて居るものが幾人ありますかサ、――其上に厄介《やつかい》なものがありますよ、兵隊と云ふ恐ろしい厄介物が、聞けば又《ま》た戦争とか始まるさうで、私《わし》の村からも三四人急に召し上げられましたが、兵隊に取られるものに限つて、貧乏人で御座りますよ、成程|其筈《そのはず》で、年中働いて居るので身体《からだ》が丈夫、丈夫だから兵隊に取られる、――此頃も郡役所の小役人が帽子《シヤツポ》など被《かぶ》つて来まして、国の為めに死ぬんだで、有難いことだなんて言ひましたが、斯様《こんな》馬鹿な話がありますか、――近い例証《ためし》が十年前の支那の戦争で、村から取られた兵隊が一人死にましたが、ヤア村の誉《ほまれ》になるなんて、鎮守の杜《もり》に大きな石碑建てて、役人など多勢来て、大金使つて、大騒ぎして、お祭を行《や》りましたが、一人息子に死なれた年老《としと》つた両親《ふたおや》は、稼人《かせぎて》が無くなつたので、地主から、田地を取り上げられる、税を納めねいので、役場からは有りもせぬ家財を売り払はれる、抵当に入れた馬小屋見たよな家は、金主から逐《お》つ立てられる、到頭《たうとう》村で建てて呉れた自分の息子の石碑の横で、夫婦が首を縊《くゝ》つて終ひましたよ、爺《ぢい》と媼《ばゝあ》の情死《しんぢゆう》だなんて、皆《みん》な笑ひましたが、其時も私《わし》、長左衛門様の御話して、斯《かう》なることを見透《みとほ》して御座つたと言うて聴かせましたが、若い者等は、ヘイ其様《そんな》人があつたのかなと驚いて居ましたよ、最早《もう》村の奴せえ御恩を忘れて居ります様なわけで――」
老人は鼻汁《はな》すゝり上げつ「どうせ私《わし》などは明日にも死ぬ身だから、関《かま》やせぬやうな物で御座りますが、子供等が可哀さうでなりませぬ、何卒、旦那――長二様、一つ長左衛門様の魂塊《たましひ》を御継《おつ》ぎなされて、此の百姓共を救つて下さりまし――」
石にや乗り上げけん、馬車は顛覆《てんぷく》せんばかりに激動せり、
「畜生、何をフザけやがるツ」御者《ぎよしや》は続けさまに鞭《むち》を鳴らして打てり、
「オヽ、可哀さうだ、余り酷《ひど》くしなさるナ」と、老人は御者をなだめつ、
馬車はやがて吉田に着きぬ、
「では、御老人、お別れ致します」篠田は老人の手をシカと握りて斯く言へり、
権作爺《ごんさくおやぢ》は幾度《いくたび》も何か言はんと欲して遂《つひ》に言ふこと能《あた》はざりき、粟野の方《かた》へ雪踏み分
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