》の社会党から運動費を取り寄せる手筈をする、其ればかりでは駄目ぢやと申すので、近々東京に全国労働者の大会を開く計画する、何《いづ》れも其の張本は彼《か》の篠田で御座りまする、左《さ》ればこそ先刻も、閣下、彼奴等《きやつら》の取締に就て、御尽力を歎願したでは御座りませぬか――」
「ウム」と思案せる侯爵「成程――何《ど》うぢや松島、山木の言ふ所道理|至極《しごく》と聞かれるでは無いか」松島は莨《たばこ》くゆらしつゝ「然《し》かし、閣下、御本尊が嫁《ゆ》きたいと申すものを、之を束縛する親の権力も無いでは御座りませぬか」
 山木は顔突き出し「其れは閣下、全く松島様の御聞き誤りで御座りまする、先頃迄は娘共の参る教会に篠田も居たので御座りました、其れで何かとあらぬ風評を致すものもあつたらしいで御座りまするが、彼《あ》の様な不都合な漢子《もの》を置くのは、国体上容易ならぬことと心着きまして、私から教会へ指図して放逐致した次第で御座りまする――承りますれば、彼奴等《きやつら》平生、露西亜《ロシヤ》の虚無党などとも通信し合つて居るさうに御座りまするし、其れに彼奴、教会を放逐された後は、何でも駿河台《するがだい》のニコライなどへ出入《ではひり》するとか申すので、警視庁でも、露西亜の探偵ではあるまいかなど、内々注意して居られるとか聞きまして御座りまする」
 侯爵は切《しき》りに首肯《うなづ》きつ「左様《さう》ぢやらう、松島、別段疑惑する点も無いでほ無いか――何《ど》うぢや、我輩が図《はか》らず斯《か》かる話を聞くと云ふも何かの因縁《いんねん》ぢやらうから、一つ改めて我輩が媒酌人《ばいしやくにん》にならう、山木、貴公の娘にも必ず異存あるまいナ」

     十六の四

 山木剛造は平身低頭「御念《ごねん》には及びませぬ、閣下、是迄《これまで》の所、何を申すも我儘育《わがまゝそだ》ちの処女《きむすめ》で御座りまする為めに、自然決心もなり兼ねましたる点も御座りましたが、旧冬、私《わたくし》出発の前夜も能《よ》く利害を申聞け心中既に理会致して居りまする、兎に角私帰宅の上、挨拶致す様にと猶予を与へ置きましたる様の始末、帰京次第今晩にも判然致す筈で御座りまして――特に閣下が表面御媒酌下ださると申聞けましたならば、一身の名誉、一家の光栄、如何ばかり喜びませうか」
「ハヽヽヽ松島と篠田、こりや必竟《ひつきやう》帝国主義と、社会主義との衝突ぢや、松島、確乎《しつかり》せんとならんぞ」と侯爵は得意満面に松島を見やりつ「然《し》かし松島、才色兼備の花嫁を周旋する以上は、チト品行を慎《つゝし》まんぢや困まるぞ、此頃は切《しき》りと新春野屋の花吉に熱中しをると云ふぢやないか」
 浜子は侯爵の顔さしのぞき「御前《ごぜん》、其の花吉と申す芸妓《げいしや》は先頃廃業したさうで御座んすよ」
 侯爵は打ち驚き「オ、廃業しをつた――新開に在つたと、浜子、其方《そち》は能《よ》う新聞を見ちよるな、感心ぢや――松島、其の根引き主《ぬし》は貴公ぢや無いか、白状せい」
 松島の苦《に》がり切つたる容子《ようす》に、山木は気の毒顔に口を開きつ「――実は、閣下、其れも矢張篠田の奸策で御座りまする」
「ナニ、花吉を篠田が落籍《ひか》せをつたと――フム、自由廃業、社会党の行《や》りさうなことぢや――彼女《あれ》には我輩も多少の関係がある、不埒《ふらち》な奴、松島、篠田ちふ奴は我輩に取つても敵ぢや、可也《よし》、此上は山木の嬢《むすめ》は何事があるとも、必ず松島へ嫁《や》らねば、我輩の名誉に係《かゝ》はるわい」
 意気|軒昂《けんかう》、面色朱を濺《そゝ》ぎたる侯爵は忽然《こつぜん》として山木を顧みつ「然《し》かし山木、君もナカ/\酷《ひど》い男ぢやぞ、何《どう》ぢや、ぽん子は相変らず奇麗《きれい》ぢやろナ、今を蕾《つぼみ》の花の見頃と云ふ所を、突如《だしぬけ》に横合から根こぎにするなどは、乱暴極まるぢやないか、松島のは社会主義に対する帝国主義の敗北、我輩のは金力に対する権力の失敗ぢや」
 頭掻きつゝ山木の困却の態に、侯爵は愈々興を催ふしつ「何程《なんぼ》花婿が放蕩《はうたう》して、大切《だいじ》な娘が泣きをつても、苦情を申入れる権利があるまい、ハヽヽヽヽ山木、君の様な爺《おやち》の機嫌《きげん》取つて日蔭の花で暮らさせるは、ぽん子の為めに可哀さうでならぬぢや」
 剛造は只だ赤面恐縮、
 大佐はニヤリと浜子を一瞥しつ「が、閣下、山木は閣下に比ぶれば、未《ま》だ十幾つと云ふ弟《おとゝ》ださうですよ」
 剛造ほツと一道の活路を待つ「大きに松島様の仰《おほせ》の通りで、ヘヽヽヽヽ」
 侯爵も頭撫でて大笑しつゝ「ヤ、松島、最早《もう》舅《しうと》の援兵か、余り現金過ぎるぞ」
「品川々々」と呼ぶ駅夫の声と共に※[
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