ネ、ほんとにお顔向けも出来ないので御座いますよオホヽヽヽ」
「アラ、奥様《おくさん》勿体ないこと、奥様の信仰の堅くて在《い》らつしやいますことは、良人《やど》が毎々《つねづね》御噂申上げるので御座いましてネ、お前などはホンとに意気地《いくぢ》が無くて可《い》けないツて、貴女、其の度《たんび》に御小言《おこごと》を頂戴致しましてネ、家庭の能《よ》く治まつて、良人《をつと》に不平を抱《いだ》かせず、子女《こども》を立派に教育するのが主婦たるものの名誉だから、兎《と》ても及びも着かぬことではあるが、チと山木の奥様《おくさん》を見傚《みなら》ふ様にツて言はれるんですよ、御一家《ごいつけ》皆《みん》な信者で在《い》らつしやいまして、慈善事業と言へば御関係なさらぬはなく、ほんたうにクリスチヤンの理想の家庭と言へば山木様のやうなんでせう、――ねエ皆さん」
 一同シナを作つて「ほんたうに長谷川の奥様《おくさん》の仰つしやいます通りで御座いますよ、オホヽヽヽヽヽヽ」
 驚《おどろい》て、更に視線を転ずれば、太き松の根方に設けたる葭簀《よしず》の蔭に、しきりに此方《こなた》を見ては私語しつゝある五六の婦人を発見せり、中に一人|年老《としと》れるは則《すなは》ち先きに篠田長二の陋屋《ろうをく》にて識《し》る人となれる渡辺の老女なり「井上の奥様《おくさん》、一寸御覧なさい、牧師さんの奥様が、きつと又た例の諂諛《おべつか》を並べ立ててるんですよ、それに軽野《かるの》の奥様《おくさん》、薄井《うすゐ》の嬢様《ぢやうさん》、皆様お揃《そろ》ひで」
 井上の奥様《おくさん》と呼ばれたる四十|許《ばか》りの婦人、少しケンある眼に打ち見遣《みや》りつ「申しては失礼ですけれど、あれが牧師の妻君などとは信者全体の汚涜《けがれ》です、なにも山木様の別荘なぞ借りなくとも、親睦会は出来るんです、実に気色に障《さ》はりますけれどネ、教会の御祝だと思ふから忍んで参つたのです――其れはサウと、老女《おば》さん、篠田様《しのださん》は今日御見えになるでせうか、ほんとに、御気の毒で、私《わたし》ネ、篠田様のこと思ふと腹が立つ涙が出る、夜も平穏《おつちり》と眠《ね》られないんです、紀念式にも咋夜の演説会にも彼《あ》の通り行らしつて、平生《いつも》の通り聴《きい》てらツしやるでせう、自分が逐《お》ひ出されると内定《きま》つて
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