窓白く雪の夜は明けんとす、
 篠田は例《いつも》の如く早く起き出でて、一大|象牙盤《ざうげばん》とも見るべき後圃《こうほ》の雪、いと惜しげに下駄を印《いん》しつゝ逍遙《せうえう》す、日の光は尚《な》ほ遙《はる》か地平線下に憩《いこ》ひぬれど、夜の神が漉《こ》し成せる清新の空気は、静かに来り触れて、我が呼吸を促《うな》がす、目を放てば高輪三田の高台より芝山内《しばさんない》の森に至るまで、見ゆる限りは白妙《しらたへ》の帷帳《とばり》の下《もと》に、混然《こんぜん》として夢尚ほ円《まどか》なるものの如し、
 篠田の双眸《さうばう》は不図《ふと》、円山《まるやま》の高塔に注がれて離れざるなり、静穏なる哉《かな》、芝の杜《もり》よ、幽雅なる哉《かな》、円山の塔よ、去れど其の直下、得も寝で悲み、夜を徹して祈れるもの一人あり、美しき雪よ、彼女の目より涙を拭《ぬぐ》へ、清《すず》しき風よ、彼女の胸より愁《うれひ》を払へ――アヽ我が梅子、汝《なんぢ》の為めに祈りつゝある我が愛は、汝が心の鼓膜《こまく》に響かざる乎《か》、――父なる神、永遠《とこしなへ》に彼を顧み給へ、彼女に聖力《みちから》を注ぎて、爾《なんぢ》の聖旨《みむね》を地に成さしめ給へ、篠田は歩《ほ》を転じて表の方《かた》に出でぬ、
 雪を蹴つて来るものあり「先生――お早う御座います」言ひつゝ彼は、一葉の新聞を篠田の手に捧ぐ、
「オヽ、村井君ですか、御困難ですネ」と、篠田は新聞受け取りつゝ、「何か昨夜あつたと見えますネ、少し遅れた様ですが」
「ハ、夜中に長い電報が参りましたので、印刷が大層遅くなりました――先生、到頭《たうとう》戦争を為《す》るのでせうか――」
「サア、左様《さう》なりませうネ」
「何卒《どうぞ》、先生、主義の為めに御奮闘を願ひます」慇懃《いんぎん》に腰を屈《かが》めたる少年村井は、小脇の革嚢《かばん》緊《しか》と抱へて、又た新雪《あらゆき》踏んで駆け行けり、
 中学の校帽|凛々《りゝ》しく戴ける後姿見送りたる篠田は、やがて眸子《ひとみ》を昨日|己《おの》が造れる新紙の上に懐《なつ》かしげに転じて「労働者の位地と責任」と題せる論文に一《ひ》とわたり目を走らせつ、心は今しも村井が告げたる二面の夜中電報に急げり、
「日露外交の断絶」テフ一項の記事と相並《あひならん》で、篠田の眼を射りたるものは、「九州炭山坑夫同
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