うだ」
踞《しやが》んで居たる四十|恰好《かつかう》の男「さうよ、でも此の新聞社などは少《す》こし毛色が変はつてるから、貧乏な代りに余り非道も遣《や》らねいが、外の社と来たら驚いちまはア、さんざん腹こき使つた上句《あげく》、体が悪くなつたからつて逐《お》つ払ひよ、チヨツ、誰の為めに体が悪くなつたんだ」
フカリ/\烟草《たばこ》を吹かし居たる柔順《おとなし》やかなる爺《おやじ》「年増《としま》しに世の中がヒドくなるよ、俺の隣に砲兵工廠へ通ふ男があつたが、――なんでも相当に給料も取つてるらしかつたが、其れが出しぬけにお払函《はらひばこ》サ、外国から新発明の機械が来て、女でる間に合ふからだと云ふことだ」
彼《か》の剽軽《へうきん》なる男「フム、ぢやア逐々《おひ/\》女が稼《かせ》いで野郎は男妾《をとこめかけ》ツたことになるんだネ、難有《ありがた》い――そこで一つ都々逸《どゝいつ》が浮んだ『私《わたし》ヤ工場で黒汗流がし、主《ぬし》は留守番、子守歌』は如何《どう》だ、イヤ又た一つ出来た、今度は男の心意気よ『工場の夜業で嬶《かゝあ》が遅い、餓鬼《がき》はむづかる、飯《めし》や冷える』ハヽヽヽ是れぢや矢ツ張り遣《や》り切れねい」
「所が、お前《めい》、女房は産後の肥立《ひだち》が良くねえので床に就いたきり、野郎は車でも挽《ひ》かうツて見た所で、電車が通じたので其れも駄目よ、彼此《かれこれ》する中に工場で萌《きざ》した肺病が悪くなつて血を吐く、詮方《せうこと》なしに煙草の会社へ通つて居た十一になる娘を芳原《よしはら》へ十両で売《うつ》て、其《それ》も手数の何のツて途中へ消えて、手に入つたのは僅《たつ》たお前、六両ぢやねいか、焼石に水どころの話ぢやねエ、其処《そこ》で野郎も考へたと見える、寧《いつ》そ俺と云ふものが無かつたら、女房も赤児《あかんぼ》も世間の情の陰で却《かへつ》て露の命を継《つな》ぐことも出来ようツてんで、近所合壁へ立派に依頼状《たのみじやう》を遺《のこ》して、神田川で土左衛門よ」
「成程そんな新聞を見た覚《おぼえ》もある」と誰やらが言ふ、
「あんな大した腕持つてる律義《りちぎ》な職人でせエ此の始末だ、さうかと思《お》もや、悪い泥棒見たいな奴が立身して、妾《めかけ》置いて車で通つて居る、神も仏もあつたもんぢやねエ」
秋の夜の更《ふ》け行く風、肌に浸《し》みて一
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